町の紹介・トップ |
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1.(まずは)秋田県はこんなところ |
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1-1.秋田県の位置と気候 |
1-2.産業など |
1-3.秋田の観光資源 |
1-3-1.自然や街並み |
1-3-2.お祭り |
1-3-3.味 |
1-4.県民性 |
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2.独断と偏見による三種町の紹介 |
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3.田舎暮らしの「懲りない」仲間たち |
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東京や横浜の知人に、秋田に移り住みます、というお話ししますと、お米とお酒が美味しくて温泉もたくさんあっていいですね、という反応を大概いただきます。ところが、それでは秋田県が日本地図のどこにあるのかというようなことになると、存外に定かでない方が多くいらっしゃいます。
秋田県は、ご存知、東北六県のひとつで、北端の青森の日本海側の南に位置する北緯40°線の地域です。
県土の総面積は11,612km2で、南北181km、東西111kmに及び、全体の70.7%を森林が占めます。全国では6番目の広さで、東京の5.3倍に相当します。
気候は、出羽山地によって、海岸部と内陸部の二つに区分されます。海岸部は、全般的に対馬暖流の影響を受けてしのぎやすく、冬季間でも積雪は少なめです。内陸部は、夏は比較的高温となり、冬は寒さが厳しく積雪も多くなります。
冬の日照時間は全都道府県の中で最少です。ときとして秋田沖付近に発生する極低気圧が暴風雪をもたらし、悪天候になることも珍しくありません。県土のほぼ半分を占める24市町村が特別豪雪地帯として指定されています。一方、夏季は冬季とは正反対に日照時間がかなり多く晴天が続きます。太平洋側から吹く季節風が奥羽山脈の山々に遮られるため、冷害をもたらすと言われるやませもなく、とくに県内陸部中央〜県内陸南部では気温が上昇し真夏日や熱帯夜になることも少なくありません。長い冬と短い夏が特徴で、四季の表情がはっきりしています。
秋田と言われて思い浮かべるものは、秋田こまち、お酒、天然杉、ハタハタなど・・・。総じて、豊かな自然を背景にした農林水産資源が魅力です。しかし、1次産業従事者は2.6%、2次産業従事者21.3%、3次産業従事者75.8%となっており、比率としては、全国平均とそれほど変わりません。
少子高齢化が進むなか、これら農林水産業は、日本のおおかたの趨勢にたがわず、衰退傾向を踏みとどめるに至らず、厳しい現実におかれています。
県人口は、約110万人(世帯数は約39万)で、その1/3は秋田市周辺に集中しています。厚生労働省の人口統計予測によると2035年の秋田県の人口は78万人。20%ほど減少します。減少率は全国ワースト1位で、しかも0歳〜14歳のいわゆる児童の割合も東京、北海道に次いで低い数字となっています。つまり、県全体が過疎化していっているわけです。
秋田というと「秋田美人」もかかせません。越後、京都に並ぶ美人の産地です。秋田美人の代表には、絶世の美人と称された「小野小町」がいます。
一番の特徴は白い肌。日照時間の短さと綺麗な水、美味しい食べ物が培っているようです。女性にとって、色白は百難を隠す、そうです。どれほど美女がいるのかについては、どうぞ秋田においでになってご感賞いただきたいものです。
地元の方と話しをする機会があれば、頻繁に出されるのかワースト自慢(?)です。人口減少率や自殺率、生活習慣病疾病率、日照率、・・・・・・などが、全国のワースト1-3位に軒並み占めており、これを自虐的なまでに、とうとうととりあげます。
2008年には、この打開策のひとつとして、行政主導で「県民性変身プロジェクトが立ち上がりました。県が「改善すべき課題」として、これらのワーストリストを公表したことも話題になりました。
これらのワースト記録をながなが上げたあとで、必ず出されるのが、児童の学力テストのことです。したどもなぁ、童っ子がさがしんだよぉ、と最後には自慢が入ります。
こういうワースト記録を見ますと、なんとも住みづらい、北方の辺境のように見えます。しかし、実際に県民のほとんどは、そうは感じていないのではないかと思えます。
住めば都と言うことなのかも知れませんし、先のワースト自慢をする県民性もあるのかも知れませんが、求人倍率・労働時間・業況判断が全国平均以上に持ち直しており、就業率は高い水準を維持しています。賃金は、平均以下ですが、食料品など生活物資の物価が安いのも魅力です。
文化環境としては、公民館の数が人口比で東京の60倍、青少年教育施設は3倍、スポーツ施設は8倍、運動公園は100倍ありますし、社会福祉面でも、生活保護施設数は2倍、老人ホーム数は2倍、障害者更生施設は1.2倍、児童福祉施設は2倍、老人ホーム従事者数は約2倍となっています。まあ、これは秋田が良いというよりは、人口が集中してしまった首都の課題を象徴しているという見方が正しい気もしますが・・・。
2009年の博報堂による「スケール・ジャパン調査」では、地域別に住民満足度は、北陸1位、北海道2位、東北3位となっており、首都圏や大阪は最下位レベルに甘んじています。
その理由として「水や空気のおいしさ」や「自然の豊かさ」があげられています。経済や消費の量よりも、じつは国民の多くがほんとうに望んでいるものがなにか、ということが、この調査のなかで示されているのかも知れませんね。
豊な自然に囲まれた秋田は、観光資源にも、本来恵まれています。
韓国の人気テレビのドラマのロケ地が、県内の20箇所にあり、日本海を渡って、韓国からも大勢の観光客が訪れているようです。
知名度は高くないが、地域に埋もれたように護られてきた景勝地やお祭り、名産の品々も多くある筈で、そういうものを観て歩いたり、食べてみたりしたいと思っています。地元の人にとって、あたりまえの光景や食べ物にこそ、すこぶる上等のものが隠されている気がします。
自然がおりなす四季の表情には、観光スポットでなくとも、思わずハッとするほど美しく、心を奪われることがあります。それは地元に棲んでいるならばのご褒美で、そのような小さな発見が、移住後のわたしたちを待ち構えています。
東北の自然は、北海道ほど雄大ではありません。ブラキストン線をわたった北海道が、雄々しく峻烈で男性的であるとすれば、東北は、母親の胎内のようなやすらぎを感じさせます。
秋田は、その東北のなかで、またもっとも東北らしい県なのでなかろうかと思われます。
南北に広がりがあるため、県北と県南によって、風土、民度、方言に違いがあることに気づきます。あるいは、山あり、海ありの県ですので、内陸部と沿岸部とでは、ドラスティックなほど表情が違います。海沿いから、内陸側に車で1時間も走れば、その変化を存分に楽しむことができます。
景勝地として代表的なものを羅列してみます。
北東の十和田湖を起点に、反時計回りでグルッと県を一周してみましょう。
■ 十和田湖
大和田湖は、秋田・青森の両県にまたがる二重式カルデラ湖で、四季折々の美しい景色を眺めることができます。
わたしは、この湖周辺の紅葉は、まったく見事だと思っています。「乙女の像」や「十和田神社」などの観光スポットもあります。
秋田には、八郎太郎を主人公とした伝説が数多く残っています。「三湖伝説」と申します。その主だった舞台が、この十和田湖、そして八郎潟、田沢湖です。そういう伝承を、聞きかじっておくと、湖畔の散策も、想念を呼んで楽しくなります。
■ 白神山地
1993年、ユネスコにより白神山地が、世界遺産に指定されたとき、もっとも驚いたのは、山麓の地元民でした。なんの変哲もないと思っていた山々が、世界の自然遺産になったわけです。当時から、観光としては、知床半島や屋久島の方が、はるかに知れ渡っていました。
16,971haのブナ原生林を中心とする、約13万haにもおよぶ広大な山地帯です。世界遺産の根拠となったのは、手つかずのブナの原生林でした。その素晴らしさは、実際に足を運んで、林のなかに入ってみると良く分かります。
鬱蒼と薄暗い針葉樹林とは違って、林のなかにも光が射して、明るいのが特徴です。フワフワの土壌も足裏に心地よく、まさしく自然に抱かれているかのように想われるのです。
ニホンザルやニホンカモシカ、天然記念物のクマゲラやイヌワシなどの動物や、ブナ、ミズナラ、ツガルミセバヤなど植物も豊富です。森林博物館と呼ぶことができるのではないでしょうか。
ブナの森にだけ生息するフジミドリシジミという小型の蝶と、源流で繁殖するシノリガモの神秘性に惹かれます。
■ 男鹿半島
なまはげは、大晦日に男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事で、「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
そのなまはげの里・男鹿半島を見下ろす寒風山展望台からのパノラマは絶景で、八郎潟や遠く白神山地、鳥海山まで眺望することができます。
また、日本海の荒波がつくり上げた断崖を眺めながら、入道崎へと北上するドライブコースでは、夕陽が日本海に沈んでいくさまが観えます
■ 鳥海山
日本海からそびえ立つ高峰で、その姿はまことに崇高で見惚れます。日本百名山、日本百景のひとつ。
秋田市出身のわたしにとって、ふるさとの山は太平山になりますが、標高2,236mの鳥海山には、孤高を感じます。
山頂からは、山頂からは、北に岩木山、白神山地や岩手山、南に月山、朝日連峰や佐渡島、東には太平洋までを臨むことができます。それは、遠く青森、岩手、山形からもこの山を遠望できるということです。鮮やかに咲き誇る高山植物の宝庫でもあります。
■ 小安峡
栗駒国定公園に含まれ、温泉地として、紅葉の名所として人気があります。皆瀬川上流にあり、長年の侵食によってできたV字状の峡谷は、全長約8kmにわたります。比高50mの間に不動滝、薬師滝など大小無数の滝があり、また、絶壁の岩間から、98℃にも達する蒸気が噴出する大噴湯は、大地の鼓動が感じさせる、同峡谷のハイライトです。
小安峡温泉の湯宿では、温泉に浸かりながら渓谷を眺めることができます。
■ 角館
秋田県仙北市の角館町は、みちのくの小京都と呼ばれています。玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれた町となっています。
この町並みができたのは、1620年(元和6年)のことと云います。「火除(ひよけ)」という広場を中心にして、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町」に、南側は町人や商人が住む「外町」に区分されました。4世紀を経て、なお変わらずのこっているわけです。
内町には、築200年近い屋敷が建ち並び、黒板塀に垂れ下がるしだれ桜が続きます。また、外町では、商家などの町並みが連なり、古い建物や土蔵を、店舗やレストランなどに生かして大切に保存しています。
春は桜、秋は紅葉、そして冬は雪景色と、四季折々の情緒が豊かです。
■ 田沢湖
水深日本一423.4mの湖。この深さのため、真冬でも凍るつくことがありません。また、深い湖水に差し込む太陽光が、水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩ります。日本のバイカル湖と呼ばれているようです。
火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、摩周湖に迫る透明度を、かつては誇っていました。しかし、発電所の建設や農業振興のため、別の水系である玉川温泉から強酸性の水を導入してしまってからは、急速に酸性化。固有種であったクニマスは絶滅してしまい、水質も悪化しました。愚かなことです。その後の中和対策で、湖水表層部は徐々に中性に近づき、放流されたウグイが見られるまでになっています。
湖のシンボルともなっている辰子姫伝説が残る神秘の湖です。
■ 秋田竿灯祭り
全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立てて、額や腰、肩などに竿灯をのせ、豊作を祈る夏祭りです。大人用の大若(おおわか)には提灯が46個つき、重さが約50kgにもなります。
重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りのひとつです。
夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として宝暦年間にはその原型ができたといわれており、厄よけ、みそぎ、五穀豊穣などを祈るのです。
・秋田市 8月日3日〜6日
■ 西馬音内盆踊り
国指定の重要無形民俗文化財。正式な記録がないためいつ始まったかは不明なようですが、700年ほどの古から豊作を祈願して踊られているという伝統文化です。
「西馬音内(にしもない」とは地名では、アイヌ語が語源。谷や崖を表す「ニシ」と川または沢を表す「ナイ」が組み合わされたものと言われています。
この盆踊りの囃子は、素朴で野趣に富み、ユーモアも感じさせるものであるのに比べ、踊りは流麗で優雅です。その対比が、全体として不思議な調和性をもたらし、独自の美しさを醸しだします。
・羽後町 8月16〜18日
■ 大曲の花火大会
「大曲の花火」と呼ばれるこの大会は「全国花火競技会」というのが正式名称です。つまり、全国の花火師たちが最高の技を競うコンクールです。
毎年、数十万人の観客が押し寄せ、この花火の芸術を堪能します。全国の花火師が目標としており、最高水準の花火を楽しむことができます。
・大仙市大曲 8月第4土曜
■かまくら
雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る小正月の行事です。かまくらに入って水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するのが本来の姿で、400年も前にはじまったと言われています。
「かまくら」の語源は諸説があり特定はされていません。かたちが竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがあります。
北国の子供たちなら一度ならず作った経験があるはずです
・ 横手市 2月15・16日
■きりたんぽ鍋
きりたんぽ(切蒲英)とは、杉の棒につぶした粳米のご飯を竹輪のように巻き付けて焼いて、棒から外して食べやすく切ったものを言います。鶏のだし汁で鍋にしたり、味噌を付けて焼いて食べたりします。鶏には、比内地鶏がかかせません。
そもそもは、マタギの携帯食が今に伝わったと言われます。
■ しょっつる鍋
「しょっつる」は、ハタハタを塩漬けにして発酵させた魚醤のことです。このしょっつるをベースにしたスープで、ハタハタや長ねぎ、せり、白滝、白菜、豆腐などを煮たものが「しょっつる鍋」で、独特の香りが食欲をそそります。
秋田沿岸の海の幸である、ハタハタをふんだんに使った郷土料理です。湯沢市の三関地方の根っこのおいしいセリとあわせると最高。
大きなホタテ貝の殻を鍋の代わりに使っていたことから「しょっつる貝焼(かや)き」と呼ぶこともあります。
魚醤としては、能登のいしる、タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、イタリアのガルムがなどがありますが、発酵の食文化というのは、奥が深く、味わいも深いのです。
■ 稲庭うどん
県南部の手延べ製法の干しうどんです。ひやむぎより若干太く、透明感があり、食感が滑らかです。寛文年間以前に秋田藩稲庭村小沢集落(現湯沢市稲庭町字小沢)の佐藤市兵衛によって始まると伝えられていまする。冷たくしても、温めてもおいしくいただけます。
■ いぶりがっこ
秋田では漬物のことを「がっこ」と呼びます。大根を囲炉裏でいぶし、塩やヌカ漬けにしたもので、独特の香りとパリパリとした食感と燻製の風味が独特です。
横手市山内地区では、いぶり漬けの味を競う「いぶリンピック」が開かれています。
■ 岩牡蠣
秋田でカキといえば「岩ガキ」。夏ガキとも呼ばれます。
鳥海山麓から日本海に流れ込む雪解け水が、肉厚で大きな岩ガキを育みます。牡蠣は、一般的に、英名に「R」のつかない月、すなわちMay, June, July, Augustの5〜8月は産卵期であり、貝毒のため食用できないとされていますが、岩ガキは、この時期が旬。みずみずしいたくさんの岩ガキが水揚げされます。
秋田の県民性について、わたしなりに独断と偏見をまじえて解説してみます。
・ 一見、鈍重に見えるが、実は根アカ
・ 人見知りが激しいが、一旦、心をあけるとあけすけになる
・ 自己主張が苦手だが、言いたいことがほんとうはあり、身内同士、陰で言い合う
・ 見栄っ張りで、かなり享楽的
・ 動き出すと粘り強く進めるが、周囲の様子を見て、なかなか動き出さない
ということになりましょうか。
県民性として、ひとことでくくることには、そもそもは抵抗があります。個人の気質や性格の違いの方がよほど大きいと思われます。ただ、わたし自身、あきらかに関西人とは違うところがありますので、(あれほど、ボケれないし、突っ込めません・・・)やはりそれぞれの環境が育てる個性の差はあるのだろうと思います。
江戸時代の北前航路で京都・大阪とつながっていたことから,文化や人間の交流,寺社参詣の面で上方と深くかかわりました。方言の端々にも、京言葉が残っており、衣食住のきめ細やという風土を育みました
。
鉱山や木材資源に恵まれ、冷害凶作とも無縁で、東北随一の豊かな地域だったようです。よく言えば「おおらか」,悪くは、競争意識が希薄で、他人より目立つのを避ける横並び指向となりました。
また、三方を山に囲まれ,一方は海に面しているなど地理的隔離性もあってか,他と積極的に交わり、連携するチャレンジ精神や柔軟性に欠けるといった保守性も強くなりました。
「津軽のじょっぱり、秋田のえふりこき」とのたとえのように,ハングリー精神に欠け,享楽的で浪費家が多い土地柄ともいわれます。理髪・美容院の件数が人口比、日本一。新車保有率も高ランクにありながら,貯蓄率は全国で最低クラスといったデータからもうかがわれます。
わたしたちも、秋田への移住にあたっては、古民家を買い取るか借用して、それを改装して住みたいと考えていましたが、そういうたたずまいの家はほとんどありません。アルミサッシが出回った頃、古いものをとっとと捨てて、新しいものに飛びついていったようです。小規模な農家でも、耕運機ではなく、トラクターを保有しています。借金してまで、ともかく新しくて、便利なものが好き。そういう県民性は、あきらかにあるだろうと感じます。
本来、農業を基盤として、有数の豊かさを誇っていた地域が、時代をおいかけて、古いものを捨て去り、その結果、豊かさの基盤となっていたものまで失いつつあります。それは、一地方の問題だけでは、もちろんありませんが、真摯に受け止めるべきことだと思えます。
一方で、新たな時代に向けてのチャレンジを、横並び意識や競争意識の希薄さが足枷となっているのならば、それでは浮かび上がっていく橋頭堡すらつくれないことになります。
スポーツや文化面でも、かつての活気がなくなっており、隣県の青森や山形に追い越され、差を開けられているような気もします。そこをふたたび持ち直していくような力があるのか、移住したばかりのわたしには、まだ分からないでいます。
ただ、そのおおらかさの故なのか、足を引っ張り合うことは、少ない県民と思えます。やっかみやひがみの心は誰にでもあるものですが、それを臆面なく堂々とやりあうといったギスギスとしたやりきれなさは、この地域ではいまだにないのではないでしょうか。まんず、人っこがいいのです。