若輩者の蒙昧と言えばそれまでですが、あのころ、明日という未来は、自分を中心にして拓かれていくものと、なんらの理由(わけ)もなく、不遜にして傲岸に信じていました。
その実は、絹の繭(まゆ)にひそんださなぎのように、精神の芯はひ弱で、ほんのなにかに触れるだけでも鮮血が流れるのでした。
やがて蛾になり、風にふかれ、雨に打たれて、陽に照らされ、翅はボロのまといになりながらも、すこしは謙虚に、そして逞しくなれたのかと想うのです。
こうなるまでは、随分と年月も重ねたもので、それでもまだ道なかばにも至らず、とりたてて上等とはいえないが、卑しくもない、そういう人生も悪くはないと思えています。
さまざまな人や生きものとの邂逅、スポーツや本や街、風景や自然や出来事との一期一会のめぐり合わせが、わたしというものに化学反応をもたらせてきました。
目でみたもの、耳で聴いたもの、嗅いだもの、味わったもの、肌で感じたもの、そういう五感に六感までを動員し、足し算や引き算、掛け算や割り算、次いで平方根などもからまっていまのわたしがあります。
これまで歩き続けてきたこと、あるいは、いままさしく過ごしているこの日常の生活。そのひとこまをスナップショットのように切り取ってみましょう。
気ままな風のようにゆくえはさだまりませんが。
※このエッセイ集は、これまで思いつきの都度、ノートの片隅などにメモしていたものを、まずは拾い集めて、再編集しながらアップしております。時期・内容ともども、脈絡なく順不同となりますが、ご了承ください。