道しるべ・トップ/あらすじ |
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■ 都会での準備篇 |
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Chapter0. としのはじめの家族会議 |
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Chapter1. プロローグ |
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Chapter2. 2008年のできごと |
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Chapter3. 2009年のできごと |
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Appendix1.笹村あいらんど視察 |
Appendix2.たんぽぽ堂視察の記 |
Appendix3.すれ違いは埋まるのか |
Appendix4.田舎の土地の探し方 |
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Chapter4. 2010年のできごと |
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土地探しに関わる地権者への初報までの顛末は、本編に記載したとおりだが、ここでは、そこで起こったわたしたちとNPOとの“すれ違い”の背景を推し量り、こういう溝を埋めていくためにはどうしたらよいのか、という処方について考えてみたい。
結論から先に言うようだが、いろいろ考えてみても、埋まらない溝はどうにも埋まりそうもない。埋まらないものだという前提で、ことを進めていくことが大事になると想えてくる。
しかし、それは悲観論ではない。そういう溝の向こう側にあるから、都会にはない田舎暮らしの楽しみがある。溝が埋まって、なくなることがあれば、都市も田舎も同質・同次元ということになる、それでは、日本は面白みのない国になってしまう。そう思おう。
昨春から田舎暮らしの準備をはじめて、一年余りが過ぎた。類は類を呼ぶ。おりおりのヒューマンリレーションで、同じ志の多くの仲間と知友を得るようになってきた。わたしたちのように都市生活をしながら移住の準備を進めている方もいれば、既に暮らし始めている方もいる。メールでの近況報告が中心となるが、みなさん、それぞれのやりかたで、それぞれの成果があって、また悩みもある、と云うところだろうか。
共通して出るのが、“田舎に棲むことの理想と現実のギャップ”にまつわる話題である。自然は素晴らしい。だが、地元の住民と話しがかみ合わない、という大きなギャップに直面する。自分の価値観や感性に共鳴が得られないと、人間は孤独を感じる。
イソップ寓話の「都会のネズミ、田舎のネズミ」のたとえではないが、そもそもお互いに生き方の歴史が違うのだから、異なって然るべきものがたくさんある。そこをうまく橋渡しするために、地方の行政側では、受け入れ窓口を一元化し、NPOとの連携も図って、わたしたちと田舎とのインタフェースをとってくれている。
都市部からI/Jターンしようとする人々が居て、それを積極的に受け入れようとする地方の行政やNPOが在る。結構なことである。しかし、ここでも、立場とか、慣習とか、プロトコルとか、感性とか、コミュニケーションのとりかたとか、いろいろなもののズレがすれ違いをもたらし、インタフェースがかみ合わないときがある。それではお互い不幸である。
田舎が良いとか、悪いとか、都会が良いとか、悪いとか、誰がどうだったか、ということをここで述べる意図はまったくない。どうしたら、インタフェースをきちんととっていくことができるのだろうか、を考えてみるべきである。
わたしには、わたしたちのことしか語れない。だから、わたしたちの準備過程で生じた事例をもとに、考察・提言してみたい。
@ ケーススタディとして、わたしたちの土地探しにおけるNPOとのギャップ
A コミュニケーションのとりかた
B これからの地域社会のありかたと受入れる側の心得
C 移住する側の心得
わたしたちが感じたコミュニケーションギャップを事例とするにあたって、誤解のないように言い添えると、だからこのNPOは駄目であるとか、云々ではまったくない。信頼し、感謝している。信頼や感謝があればこそ、こうして公開することもできる。思いの違いや行き違いが起こるのはやむを得ないこととして、そうなったらそれを双方で乗り越えていこうとする意思が在る。いちばん大事なものがお互いにある。だから、少々のギャップがあっても、最終的には笑い事で済ませられる。
逆説的にいうと、そういう関係下にあっても『すれ違いが生じて』いる。結構、根深いものがある証になる。
地方において、きちんと組織だって体系化されたNPOは数少ない。多くは地域の有志や篤志家を中心に、ボランティアメンバーがくわわって、どうにか地域を元気にしようと頑張っている。
三種の一里塚も、そうやって揺籃期から成長期にさしかかったNPOと言える。
理事長の清水さんは多忙を極める。ひっきりなしに電話がかかり、来客があり、メディアからの取材が入る。わたしたちの定住支援は、そのほんのひとつにしか過ぎない。後回しになってしまうこともやむを得ないことである。しかし、それにして土地の地権者をさぐりあてて、電話を一本入れるのに、なぜ4ヶ月を超える期間を要したのだろうか。コミュニケーションが実質的に成立していなかったからだとしか考えられない。
田舎への定住にあたって、地元の役場やNPOは架け橋になってくれる存在である。
Uターン者の場合は、そうでもないかも知れないが、I/Jターンなど、見知らぬ土地で新たな生活をはじめようとする者には、とっかかりもなにもない。いろいろわたりをつけてくれるその存在はありがたい。ところが、そうやって期待する分、ある水準値に達しないと失望につながる。
今回は造作なく架かるだろうはずの橋がなかなか架からなかったケースと言える。とんでもない岸辺に架かったり、全然、届かない場合もあるように聞く。いずれにしても、その仮橋を橋頭堡として、準備に拍車をかけようと考えていた定住者の計画は狂ってしまう。
一体どうすれば、このような問題がなくなるのだろうか。
<プロセスの違いに戸惑う>
わたしたちは、IsさんやItさんの土地を気に入っている。しかし、田舎の土地取得には、さまざまな障壁があることも承知しているつもりで、どうしてもそこでなければ厭だと、駄々をこねるつもりはない。ただ、気に入った土地であれば、アプローチすべきと考えている。それが駄目であれば、また別の土地を探すだけのことである。ところが、そのプロセスが動いていないのに、そこほど魅力を感じない他の空き家や空き地を紹介されてしまう。これでは、なにも進まないことになる。
このように進めていきたい、というプロセスはお伝えしているつもりなのだが、どうも伝わっていない。そういうことが往々にしてある。海外の異文化・異言語の企業と仕事を進めようとするときのギャップ感に近いものを感じる。
【移住者の心得】
暗黙の了解はないものと考える。スケジュールや進め方の大枠を共有したとしても、それで進むと思わない方がよい。都度々々、遠慮せずに、こまめに連絡をとること。メールよりも電話が良い。大体は面倒臭がらずに対応いただける。遠慮せずに、こちらの意思をシンプルに伝える。
<スピード感と土地へのこだわり>
いつ仕掛けていくかという緊迫感と、こういうプロセスの進め方に関するスピード感覚の違いがいちばんの原因なのだと思う。
見知らぬ土地へ定住を希望する当事者は、早めにことを進めたがる。また、その当事者が都市部のビジネスマンであれば、なおさら、物事を順序だってきちんと進める習慣がついている。もしこの候補地の交渉が成立しなかったとしたら、いったん振り出しに戻って、別の土地探しからやり直す必要がある。そういうリスクを考えると、やれることは早め早めに潰していきたいと考えている。
一方、地域の事情に精通しているNPO側は、まあそんなに焦らないでも、となる。いろいろなところを見るだけ観て、それからやおら決めにかかれば良い、という風に構えておられる。物事を進めるスピード感に大きな違いがある。わたしにとっては、身にせまっているが、清水さんにとっては、いざとなって動いてもどうにでもなる。そういう感覚なのではないか。
土地や家というものへのとらまえ方の差も感じる。
わたしたちは「棲む」場所にこだわりをもって探している。したがって、土地のたたずまいや表情が気になる。ピンとくるものが、もし三種に見当たらなければ、エリアを拡大してまで探したいと思っている。
先祖代々の土地に生まれ、育って、踏襲している人には、そのこだわりが理解しにくいのかも知れない。どこでも住めれば、それでいいのではないか、といったニュアンスを感じる。情緒的なこだわりは捨てて、広い屋敷のついているものを、安く入手できることの方がはるかに実利的だという判断があるようにも思える。わざわざ、地権者を探し当てて、廃屋を解体していくような無駄なことまでしなくともよいのではないか、という思いがあるのだとしたら、それが交渉をにぶらせて、別の空き家や空き地を紹介しようとする行動になったこともうなずける。
【移住者の心得】
ここというときは、現地に飛ぶ。じっさいに逢って、毎日顔を突き合わせて、再々お願いする。
定住に関わる窓口にNPOがたっていただくと、その無償の行為に恐縮する気持ちが、再々催促しては申し訳ない、という遠慮につなげる。ビジネスライクにはっきりと要求することを阻害してしまう。わたしたちの土地探しにおいては、そういう心理がいささか障壁になったことが否めない。
一方のNPO側にも、単に右のものを左に寄せるのではなく、ボランティアという無償の行為であるが故に、いろいろな思いが入り込んでいるということが言える。
言ったつもりで動かないのであれば、伝わっていないことと一緒である。コミュニケーションギャップが生じたときには、そのギャップを嘆くのではなく、乗り越えようとすることが重要である。遠慮しないことである。
【移住者の心得】
ネバリゴシでやる。都会ではこうだ、と比較しない。ただ、妥協もしない。
【現地への提言】
定住希望者の要望には、コンサルティング(相談)して欲しいものと、レスポンス(回答、資料送付等)して欲しいものとがある。前者はNPO本来の姿で「深く」、後者はビジネスライクに「早く」。
コミュニケーションのツールということで言えば、メールをもっと活用していくことだと思う。その方が絶対に効率的である。とくにこれから若い世代を呼び寄せようとするならば避けてとおれなくなる。
簡単なIT環境を整え、馴れさえすれば、電子メールはひじょうに重宝である。自席に戻ったときに、それまでのログがすべて配信されてくるわけで、簡潔な返信を行えば、あらかたそれでことが済む。定住希望者とNPOなどとのやりとりで、この道具をお互いにうまく使いこなすことができれば、大きな武器になる。時空を越えるわけだ。
そのためには利用の文化が、お互いに同レベルで共有されていなければならない。都市部から定住を考えている人間の多くは、既にメール文化に馴染んでいる。いろいろなことをメールで問い合わせる。ところが、その返答がないため、かえって、失望や不信につながっている。もっとも多く聞く話しである。
田舎は、顔を合わせてなんぼ、という世界である。属人と属人で動く。それはそれで良いものがたくさんある。しかし、そういう顔合わせができないから、都市部の定住希望者はメールでアクセスしてくる。レスポンスがないと見放されたと勘違いする。ウェブ環境やメールにうまく対応できない受入れ先は、かなりの機会を喪失しているし、ますますそうなっていくのではないだろうか。
もちろん、メールは、コミュニケーションをとるための道具に過ぎない。情報を開示すること、発信することの重要さへの認識がもっと大事で、根づいていく必要がある。
わたしたちの土地探しの件でも、ものごとが進展しないことが、直接のフラストレーションだったわけではない。どこまでことが進んでいて、なにがネックになっているのか、いまその課題は誰が抱えていて、どうしようとしているのか、どうにかできるものなのか、そうではないのか、そういうFact is Factが情報開示されず、状況がさっぱりわからないことに強いストレスを感じるのである。
そうなると、いぶかしむ気持ちが芽生えてくる。
【現地への提言】
定住希望者は、こまめな連絡を欲しがっている。メールは重要だという意識を持つ必要がある。メールが来るということは、相談したがっている、という証。たいして進捗がなくとも構わないので、メールへの返信は必須。クイックで事実を伝えること。返信しないことは『無視』することである。その希望者は、その時点で候補地から外してしまう。
ウェブサイトも、自分たちが想っている以上にいろいろな人がいろいろな機会で閲覧している、と考えた方がよい。
※ なんめいかからは、三種の対応は残念なものだった、と聞いた。
※ 町のHPにちょっと載せただけで、じゅんさい摘みツアーの申込みが、それをトリガーとしてやってくる。そういう時代である。
地域の活性化だとか、農への回帰であるとか、地方に目が向けられる時代になっている。情報公開・発信への取組みの格差が、その地域の趨勢をわける分疑点になる気がする。情報を暖めたり、隠したり、管理できないところには淘汰の力が働く。
良いことでも、悪いことでも、積極的に情報を発信し、メール等の利用文化が発展すれば、都市と地域とがもっと近づいてくる。現代人は、情報の読み込みにこなれてきている。良いことだけを開示しても、メッキがすぐにはがれる。悪い事実もきちんと掲げた方が、むしろ信頼を得る。
秋田は、三種は、たしかに東京から遠いところである。しかし、やりかた次第でどんどん近づけることができる、そういう時代なのだと思う。
もし、そうやって意思の疎通が相互にとれるようになったとしても、だから理解し合えるかというのは、別の問題となる。
わたしたちにように、都市部から田舎への移住を考える人々は、そのゆったりした時間と自然のなかにあって、自分たちの人生の充足を図りたいと思っている。そこに、価値観や感性や自然観を共有できるような人間関係も築くことができたら、どんなに素敵で豊かな暮らしになるだろうか。
ところが、そういう自然環境があったとしても、人間社会の環境まで移住者の心情や情緒をすんなりと満足させるのは稀有なことある。田舎に住んでみると、こんなはずではなかった、と理想と現実のギャップに幻滅してしまう。
都市部にながく暮らした者と、田舎に住み続けた者とが、その感性までを共有するのは、ひじょうに難しい。完全に理解し合うことは永劫に無理だろうとも感じる。生きざまが異なる。違ってむしろ当然である。だから、田舎暮らしを諦めてしまうのか、それでも踏み切っていくのか。その答えを出せるのはわたしたち、移住者だけである。
わたしは、完全に理解し合える地域社会を求めるよりは、価値観や感性などが異なる人間を、認め合っていけるような地域社会を創ればよいと考えている。その違いを面白がっていく多様性と包容力のある地域こそ魅力的である。
縁もゆかりもない土地に、棲みたいと言い出した人間が、自分たちのことを理解してくれない、と愚痴をこぼすのは面妖なことのように見える。相互理解も大事だが、まずは、移住する者こそ、その努力を惜しんではならないとされている。
しかし、同じくらいの重みで、受け入れる側も変わっていかなければならないのではないだろうか。
そういう点で、元気なNPOのある三種には、少なくともその可能性があるのではないかと思う。NPOの成立は、年齢や性別、職種や趣味などが異なるメンバーが認め合って、フラットに結びつくところにある。そういう素地がある、ということになる。
【移住者の心得、現地への提言】
人生の価値観や感性は、その人の生き方や育った環境に大きく関わっている。生き方・環境が異なるもの同士で、それを共鳴しようとしても、個人の内面に関わるものだけに和音にならない。無理なものは無理として、その違いを認め合おう。
移住する人間は、理解されることを求めない。周辺に理解されないと移住できないようであれば、最初から田舎暮らしはできないものと思った方が良い。
理解されることよりも、定住者側の生活のかたちを実現することの方がはるかに大事だ。口で説明するよりも行動して、かたちをつくれば良いのだと思う。とっととやってしまうことである。
富良野では、倉本聰ドラマのロケ地跡が、観光名所となっている。
「森の時計」や「風のガーデン」や「北の国から」の五郎の家々を観て廻ったゲストは、かなりの確率で堪能させられるだろう。
そのなかで、それぞれのドラマを全編きちんと観た人は、それほど多くはない筈だ。
また、そのなかで、それぞれのドラマの持つ本質、人間の生死とは何かとか、家族とは何かとか、善と悪とは何かとか、人間と自然とは何かとか、そういうメッセージを、行間を読みとりながら、感受している人はさらに少なくなるだろう。
ただ、倉本聰という作家の感性やポリシーのもとで、かたちになって造られたものは、人を惹きつける。そこから、なにかベース音のようなものが、音なき音として奏でられてくることを、本能的に感じ取るのだ。
倉本聰の思想は理解されなくとも、ロケ地は人を魅了する。かたちづくれば、雰囲気を伝えることはできる。それでよいではないか。
わたしたちのやりたい生活は、そしてその舞台はこうなんですよ、と見えるようにしてしまうことが一番だと思っている。
そういう強い意思と行動力が、そして毅然としながらも柔軟でもあることが、移住する者に求められるのだろう。難しいことだが・・・。
【移住者の心得】
自分でできることは自分でやること。行政やNPOは、なんでもおまかせ・・・と言ってくれるが、過度な期待はしないこと。
<風のガーデン・庭と外観>
<風のガーデン・建物内部>
<森の時計>
<北の国から>
<中富良野の朝>