道しるべ・トップ/あらすじ |
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■ 都会での準備篇 |
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Chapter0. としのはじめの家族会議 |
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Chapter1. プロローグ |
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Chapter2. 2008年のできごと |
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Chapter3. 2009年のできごと |
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Appendix1.笹村あいらんど視察 |
Appendix2.たんぽぽ堂視察の記 |
Appendix3.すれ違いは埋まるのか |
Appendix4.田舎の土地の探し方 |
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Chapter4. 2010年のできごと |
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重く垂れた雲間から、昼過ぎにはポツポツと雨が落ち始め、やがて本降りになった。小田原駅から車で20分ほどのところに久野(くの)という地域があり、自然養鶏を長年実践している笹村出(いずる)さんのお宅がある。
玄関をあけると、既に見学の先客が1名あり、笹村さんが語り始めたところだった。
養鶏の難しさは、鶏を飼うことにあるのではない。飼うこと自体は、存外、やってみればできるもんだ。しかし、それをビジネスにつなげて、事業として成立させることこそ難しい。かつて卵の販売に走り廻ったこともあるが、自分の顔つきがかわって、性格まで変質してしまいそうな気分であった、と苦笑まじりで話された。
わたしがこの養鶏場、笹村あいらんど、を知ったのは、氏の著書『発酵利用の自然養鶏』による。巻末に、問い合わせの連絡先が記載されている。見学させていただけないものかとうかがってみると、毎週火曜日の午後2時に受け付けていると云う。それならばと、5月の連休を利用してうかがうことにした。
なぜ、火曜日にしているかというと、ここが週一度の発酵餌等の仕込みの日だからだ。この作業風景を実際の目でみてもらうのが、いちばん良かろうという配慮である。
でき得る限り、野鶏本来の生育環境に近づけることを目指しておられる。
鶏を庭に放すと、野草や虫をついばむ。また、足で地面をひっきりなしに掻いて、なにかをついばんでいる。四六時中、土を掻く。チキントラクターと呼ばれるほど、思いのほか深く掘って、なにをついばむ。それは、なぜだろう。そういう疑問から、好気発酵と嫌気発酵の飼料を手造りして、混交して与えることに思い至った。
※好気性発酵は空気(酸素)のある状態で活動する微生物の働きで有機物を分解し、発酵させるもの
※一方、嫌気性発酵は空気(酸素)に触れない状態で活動する微生物の働きによるもの
平飼いの床も、稲ワラ・麦ワラ・ススキを敷き、その後剪定チップを入れて発酵させる。発酵状態にすることで、悪い微生物の偏りが起こさず、鶏の免疫力を高める。また、そのまま堆肥になる。
B.M.W浄化槽(B=Bacteria, M=Mineral, W=Water)からの流れを鶏舎に引き込み、新鮮な水をいつでも飲めるようにした。
抗生物質やワクチンはいっさい使わない。「薬は無用だ」と断言されている。
そして、茂みの野原に放って、日に100c(少なくとも60c)の緑餌を採らせる。そういう教育・訓練を鶏に施すことも大事であると悟った。緑餌をたっぷり採ることを雛の時代からしつけないと配合飼料しか食べなくなるらしい。
卵の黄身は、緑餌をたっぷり採って、ああいう色になるのだと言う。草や葉っぱを食べさせないと、だんだん淡く白くなっていく。葉緑素の力なのである。ところが、それではそういう自然環境で育てると、おおぶりでオレンジがかった濃厚な味の卵になるかというと、そうではない。色はカロチン等、飼料の要素によるし、濃厚で美味いという卵なら蛋白源の含有を多くすれば良い。ただ、それはメタボリックエッグとも言え、つまり、口に入れて美味いと感じる卵が、必ずしも“良い”卵とはならない。霜降り和牛然り、である。しからば、“良い”卵とはいったい、どういう卵のことなのだろうか。それが、笹村さんの命題となった。
続きは、鶏を見ながら話しましょう、一同は外に出ることにした。
鶏舎は三箇所にあった。おおまかには、一歳鶏、二歳鶏、三歳以上鶏に分かれている。三歳以上舎にはまた、保護用と純血種(東天紅や笹鶏)保存用の小舎が区切られている。
笹村さんは養鶏家であるが,広く自給自足の方である。だから、農全般の中に生活がある。田畑があり、鶏がいる。ただ、山中に逼塞するのではなく、むしろ都市部の近郊にあることこそ、重要と考えている。そこでは、生産者が出す食品副産物や残渣が手に入り、鶏の餌となる。産んだ卵を買い取る消費者がいる。
最初にご案内いただいたのは、一歳鶏舎である。実際には、訪問時点で生後2ヶ月の53羽の鶏が、すくすく育っている。もう雛とは言えない、堂々たる少女群である。“岡崎おうはん”といい、プリマスロックとロードアイランドレッドの交配種。長野県の小松種鶏場から購入したのが、3月3日だった。
黒色種と白色種と年ごとに変えていくと、将来的に鶏舎で混合させたときに、一目で見分けがつけられ、管理し易い。つまり、一歳鶏が黒ならば、二歳鶏は白。三歳以上は、黒と白の混交となる。三歳か五歳かは、老いぼれ度合いで判断できるという。なるほど、実践者ならではの工夫である。
※今年は、品種を変えているため、色での区別は必要ない。つまり、一・二歳とも黒系であるが、前者は“岡崎おうはん”、後者が“笹鶏”という種である。
二歳舎は、働き盛りの笹鶏が居る。肢体が引き締まって、力がみなぎっている。さぞかし滋養に溢れた卵を産んでくれるのだろう。笹鶏とは、小田原の久野の環境にもっとも適応した種として、比内鶏とロードアイランドレットを掛け合わせて、笹森さんが自ら作出した地鶏である。さきほどの考えにより、黒種と白種の二種がある。
わたし自身が、里山で暮らし、そこで鶏を飼う構想を描くにあたって、素朴に疑問に感じていることを聞いてみた。鳥インフルエンザのことである。養鶏は、人里の生活空間でこれから共存していけるのか、どうかということである。
これから養鶏をしてみようと考えるのならば、その規模の大小に関わらず、避けて通れない問題になる。わが家の鶏に病害がなくとも、風評被害というものがある。秋田に定住し、数年かけて農園リストランテの開業に漕ぎ着けたとたんに、そういう場面にでくわしたらたまったものではない。そういう危惧がある。
笹村さんの表情がさっと曇る。やはり随分厭な思いをされているようだ。
三歳以上舎は、自宅敷地から車で10分ほどの山中にある。餌を調合し、発酵させる機材類や素材もこちらにある。これらを一括して自宅の敷地内に下ろそうとしたとき、それは辞めて欲しいと自治会から申し入れがあったらしい。鳥インフルエンザに関する住民の不安がある。いま居る分はやむを得ないとして、これ以上増やすのは勘弁してくれ、とそういうことだった。
反論なら幾らでもできるが、地域に棲みつく以上、そういう声も尊重しなければならない、溜息まじりに云われた。
鶏の立場にたてば、インフルエンザに関しては、鶏こそ被害者である。渡り鳥が媒介して、ウィルスが拡散する。とくに冬季、水鳥が群れをなしてシベリアからわたって来る途中の経路で感染するケースが多い。こういうウィルスは、どうやら増殖を重ねるうちに強毒化するらしい。つまり、群れの個体から個体へ感染するうちに、弱毒化し、強毒化し、ついには死に至らしめる。だから、渡り鳥こそ取り締まって欲しいところなのだが、海を越えて飛んでくるのではとめようもない。せめて渡りルートの解明などの調査を地道に進めていくべきと思う。
水禽から家禽に感染すると往々に高病原性となる。大規模なケージ飼いでは、感染が短期間に連鎖し易い。ときに一面真っ白に消毒されや鶏舎地と淘汰された山積みの鶏の映像が、メディアを介して世間に露出する。小規模飼いで発症した事例はいまだ報告されていないが、一般民の警戒感は募るばかりとなる。
いまのところ、鳥同士の感染の他、鳥−人感染の事例が海外にある。もっとも怖いのは人−人感染にウィルスが変異したときである。いつそうなってもおかしくないと言われている。
わたしの幼い頃には、里には普通に鶏が居た。一般家庭の自家用として、飼われており、その世話は子どもの役目だった。そういう風景がいつのまにか消えようとしている。
商売としての養鶏には、サルモネラ菌が敵だった。それを防止するには、土に触れさせないことだとなり、ケージ飼いが奨励され、大規模養鶏に拍車がかかった。卵が工業製品のようにして、大規模養鶏場で生産されるようになる。運動会や風邪で寝込んだときにしか、お目にかかれなかった鶏卵は、こうして「物価の優等生」と言われるまでになった。ひとパック200円の卵が出回り、それならばわざわざ自家用で鶏を飼うこともなくなった。
あれから半世紀を経て、鶏が里山から消え、隔離された山中でないと鶏を飼うことができなくなろうとしている。しかも、それは工場のようなもので、ゆえにウィルスの巣窟になる危険性も秘めてしまった。これほど愚かで皮肉なことはないのである。そういう視点でも鶏こそ被害者である。
第三の鶏舎までは、降りしきる雨の中を車で移動した。会話も空模様も湿ってしまったが、山中の養鶏場には、笹村さんのアイデアや熱い思いがぎゅっと圧縮して詰まっていた。
60eの土地の周囲を2bほどの柵で囲う。その中心に50坪の鶏舎と30坪の作業室・飼料置き場を造る。これで350羽の鶏が飼養できる。
60eは四等分する。一区画の15eを遊び場として、季節ごとに循環させる。順番待ちの三つの区画は、自然な茂み状態に任せたり、野菜畑とする。チキントラクターが耕した土地は、有機栽培の準備がすでに万事整っている。ビオトープとして雨水の池をつくり、果樹も植える。
晴れた日の午後には、鶏舎から遊び場に鶏たちを放す。この日はあいにくの雨で残念だったが、青空の下、庭で遊ぶ鶏たちにはさぞかし生命力が溢れ、清々しいだろうと想った。
なぜ、午後なんですか、と聞いてみると、鶏は25時間の産卵周期だから、という回答があった。前日6時に卵を産んだのならば、今日は7時、明日は8時となる。そして13時まで来ると、振り出しに戻って、また6時からはじまる。つまり、朝から鶏を外に放すと、茂みのなかに産卵してしまうので、回収漏れが生じる。この卵が果たして今朝産んだものなのか、実は昨日の回収漏れのものなのか、産卵日に確信がなくなって、商品化の支障となる。そういう理である。ひどく感心してしまった。
ヒトも体内時計も、本来25時間であるという。温度や湿度が一定で、日光を完全に遮断し、外の様子や時間がまったくわからない地下室のような場所にしばらく置くと、人間は約25時間の周期で生活するようになることが実験の結果わかっている。月の満ち欠けに由来するらしい。
ヒトも鶏も、この地球上でともに息づく生命体である、というごくごく当たり前のことが実感され、ひどく感心してしまった。
鶏舎内の工夫にも興味は尽きない。
・ 止まり木
ねぐらとなる止まり木の下には糞が積もるので、止まり木の場所を固定してしまうと床の発酵が、不均一になる。そのため軽量な移動式のものとしている。
・ 産卵箱
産卵箱を見れば養鶏場の水準が分かる、と笹村さんは云う。
箱の設置場所、床のゆるやかな傾斜、産卵のしやすさ、蛇や鼠の防止。
鶏の生態を熟知した氏ならではの設計が随所に見られる。
いよいよ発酵餌づくりの実践である。
鶏を野に放して観察すると、足で地面をひっきりなしに掻いて、なにかをついばむ。草はむろんだが、木の根元や吹き溜まりのくぼ地をやたら掘り返し、虫を食べ、また、落ち葉や枯れ木が積もって腐食化したところを好んで食べている。そこには多様な微生物がいて、発酵を起している。土の表面近くでは、微生物が酸化反応を行って、好気発酵を起こす。さらに掻き進む土中の奥になると、嫌気性微生物が発酵を行い、高分子の有機物を低分子の有機酸に分解している。鶏の観察から“発酵”にヒントを得て、笹村さんは発酵餌を手造りしてみることにした。
そして、試行錯誤を重ねた結果、ようやく満足を得た製造過程を、こうしてはじめて逢うわたしたちに惜しみなく披露してくれているのである。
地域の食品副産物を発酵させて利用している。おから、魚のアラ、給食の残渣、そばぬか、牡蠣殻、海草、くず米、・・・・・。
まずは嫌気発酵から。
トラム缶1本分の材料は、
豆腐屋から運ばれたばかりのおから:70gのポリバケツ5杯
そばぬか;15s1袋
糖蜜;2g
おからではなく、笹村さんの知人は青汁(ケール)や果汁の絞り粕でつくっていると云う。お茶がらのサイレージもある。
地域に密着した素材が、安定して、かつただ同然で入手できる。笹村さんの目から見ると、最高の飼料原料が、産業廃棄物としてお金をかけて捨てられている、ということになる。
糖蜜をおからに等分に分け入れて、おからにそばぬかを少しずつ加えながらドラム缶に詰め込んでいく。一杯になったら、上からしっかり踏みつけてギュウギュウ詰めにしていく。嫌気発酵させるのだから、酸素を押し出すようにする。1ヶ月以上をおけば利用できるようになるという。
次は好気発酵。
そばぬか;17s7袋
新鮮な魚アラ;80s
くず米;90s
牡蠣殻;7s
海草粉;1s
その他、剪定チップ、おから、アンズ粉炭、腐葉土、生ゴミなどの残渣・・・・・。
これを長野のキノコ業者から中古で購入した攪拌器に入れて、水を加える。
仕込んで24時間後には、発酵の温度が70℃くらいまで上がるそうだ。発酵は微生物の行う仕業であり、それをコントロールする技術は難しい。笹村さんご自身も習熟までには長い期間を要したと云うし、笹村さんのやり方をそっくりそのまま真似て、違う土地でやろうとしてもうまくいかないことがあるようだ。
嫌気と好気の飼料を混ぜ合わせていくと、乳酸食品独特の良い香りがする。
鶏たちも餌の気配を察知して、早くくれよ、とばかり色めき立つ。与えるといっせいに群がって無心に食べている。わたしは、人や動物が、こうして無心になって食べ物にありついているのを見るのが好きだ。自分まで幸せになってくる気がする。ふと笹村さんの横顔を見ると、同じような目で鶏を見ている。
さて、こうして自然養鶏の飼育法を確立した笹村さんは、“良い”卵とはいったい、どういう卵のことなのだろうか、という命題に対し、次のような定義を持つに至った。
産卵後、放置しておいた卵を何日か経ってから孵卵器に入れる。孵化すれば、その卵を生きていたことになる。放置期間が長くても雛に孵る卵とは、すなわち「生命力の強い」卵と言える。それこそ“良い”卵なのではないか。
そして、笹村あいらんどの卵は、なんと7週間も生き続けるのである。
食事をとるときに“いただきます”と挨拶する。永六輔さんは、「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます、という意味合いだと言っている。笹村あいらんどの卵をいただく、というのは、なんとも頼もしい力強い命をいただくわけである。
魚介のアラの量を増やすなどすれば、美味しいといわれる卵ができる。ただ、それでは生命力に劣る。
どちらを選択するかは、結局は消費者の問題である。
笹村あいらんどの特徴は、飼料原料を地域の食品副産物によっている、即ち、地産としていることだが、販売も地域に限っている。地消である。
ほとんど輸入となる配合飼料に頼って、工場的な飼育を行い、それを流通ルートに乗せて販売するといった、市場経済のスタイルの対極にある。
1個の直売価格は55円になる。それを高いと思うか、それでも購入すべきと考えるか、それも消費者の側の問題である。
鶏はストレスが生じると、より弱い固体をいじめだす。尻をつついて、尻のまわりが禿げ上がる。「尻つつき」と言われる。
また、いくら良い環境で強靭な免疫力を持った鶏だとしても、いっさいの病気から完全に免れるわけにはいかない。
これらの問題についての、笹村さんの視点は高邁である。
つまり、尻つつきが行こるのはなにかどこかに問題が起こっていることを、鶏が教えてくれているのだ、とおっしゃる。群れの規模なのかも知れないし、餌の質、舎内の温度や採光などの環境、・・・・。
鶏が病気になるのは、それが風邪レベルである場合はむしろあって然るべきで、薬漬けにして「病気になる機会を奪う」ことこそが危険だという考えである。
養鶏家として、長く鶏と向かい合い、あるいは自然と接してきたからこその見識である。
田畑に入り、家畜を飼養する、こういう根源的な暮らしをしてこそ見える普遍的な価値感には、経済市場主義からけして生まれ得ない知恵がある。わくわくする喜びもある。
わたしたちが次の、そのまた次の世代に伝えていくべきものは、お金という豊かさなのか、知恵の豊かさなのかを、考えなければならない。
政治家や行政を担う者の責任は重いが、これもとどのつまりは国民ひとりひとりの問題なのではないだろうか。
鶏舎には、一羽の鶏が完全に放し飼いされていた。
餌造りや給餌の際、鶏舎の周辺にこぼれる餌をついばんでくれるので、鼠発生の防止になるのだと言う。
ただ、放し飼いだけに、野犬や猫などから自分の身を自分で護らなければならない。賢く、機敏で機転がきくことが求められる。人に慣れていることも大事である。飼料づくりや給餌などの人の動きを観察し、その邪魔にならない洞察力も必要である。番犬ならぬ番鶏である。
笹森さんの作業を少し離れて観てみる。この番鶏との間合いが実にいい。ピタリと呼吸の合った双方の動きが、永い連れ合いのようでなんとも言えない。
笹村さんの話しは、理路整然としている。養鶏家というよりは、教師然とされている。あらゆることに造詣が深く、視点も高くて多彩である。奥様も然りで、話しの節々に見識の高さがうかがえる。日々のブログを拝見すると、この人は怪物だな、と思う。とても足元にも及ばない。
一方で、田畑に立ち、鶏の世話をしている氏には、土が好きで、野菜が好きで、鶏が大好きといった好々爺の面影が浮かぶ。
そのコントラストが、実に鮮やかである。それが心地よく思えるのは、きっと笹村さんが鶏ともども自然のなかに溶け込んでしまっているからなのだろう。