<初稿2005.6.2>
ムササビという動物はまことに面妖だ。
月夜の樹林の大木にするするよじのぼり、ふわりと滑空しては、幹から幹へと移動する。ときにひと尾根を越えることもある。その距離300m余。膜を拡げると座布団のようで、遠目でも迫力を感じる。音もなく空を滑る、そう、翔ぶのではなく滑る。林道に寝そべって、その様子を眺めていると、わくわくする感動とは別物の、なにか不思議な鼓動を覚える。どうとも幻惑されているような戸惑いが残る。ムササビは、まこと面妖である。
東京都八王子市郊外の高尾山。都民の行楽地として親しまれている標高600mのこの山は、じつはムササビの名所でもある。元来、修験道の霊場であり、真言宗智山派の大本山・薬王院の寺域となっている。そのため、天然の森林が守られてきた。
樫などの照葉樹林とブナ・楢など落葉広葉樹林、そしてモミ等の針葉樹林の境界に位置し、植生がこのうえなく豊かである。「日本の植物学の父」と云われる牧野富太郎博士のフィールドでもあったという。
2年ほど、調布市に過ごしたことがあった。最寄り駅の仙川から京王線に飛び乗れば、1時間ほどで終点の高尾山口である。寝袋をかついで、週末の夕刻の駅に降り立ち、帰途につく大勢の行楽客の歩みに逆らうかのように参道にむかった。2月に1回ほどのペースであったろうか。
夜の山を不眠不休でひたすら歩き廻る、というわけではない。
夜行性動物の行動リズムは、昼行性動物の映し鏡である。
夜明けとともに活発に動き出し、また夕暮れ前に晩餐どきを迎えるのが昼行性であれば、夜行性動物は日の入り後と夜明け前に活発に行動する。深夜帯は、彼らの昼休み時間のようなものだから、観察者の人間も寝袋に入りこんで仮眠すればよい。
山頂の薬王寺からは新宿副都心のビルの夜景がきれいに見える。その夜景をさえぎってムササビのシルエットが行過ぎる、そんなシーンにも出くわす。こういう光景にお目にかかれるのは、世界中で恐らくここだけだろう。
落葉した冬の森では、はだかの木枝にいるムササビが容易に観察できる。かさこそ、音だけで、どこにいるかわからないときは、ちょっと懐中電灯で照らしてみるといい。光が瞳に反射して、すぐに居所が知れる。あまり人を恐れず、触れるほど近くで観察できることもある。たしかにげっ歯類でリスの仲間であるが、ネコに似たしぐさをする。ギャーギャーと鋭く鳴くが、グルルルルゥという甘ったるい鳴き声もあり、それもネコを連想させる。げっ歯類にはない「表情」をそういうしぐさや鳴き声から感じさせるのである。
不気味さもあり、愛嬌もある。妖気を漂わせた忍者に似ている。面妖である。
ある晩、薬王寺前の茶屋のベンチに腰掛けて、巣穴から出てくるムササビを待ち構えていると、茶屋の主人がぬっと現れた。山では、突然動物に遭うよりも人間とバタリ出くわす方が驚く。このときも心臓がとまるかと思ったが、ちょっと話しがあるから来いという。
茶屋の屋根裏にムササビが巣をつくって、子どもが産まれた。夜な夜なうるさくてかなわないし、し尿で屋根壁もやられてしまう。かと言って、放り投げるわけにもいかない。どうか、持っていってくれたまえ。
野生動物保護法などをまったく無視した会話だが、たとえば猿や猪、鹿などから農作物の被害を受けている村人にとって、彼らは憎むべき生活圏への乱入者である。そこでは、法は非力であり、現実を見据えた策を講じて解決いくことが重要となる。食害と屋根裏への侵害ではレベルの差があるが、茶屋の主人にしてみれば、とんだ災難ということなのだろう。
さて、困る必要はまったくないのに、困った。
なぜ困る必要がないかと云うと、寮住まいの身分では、そんなことははなからできる筈もない。いくら相談されようが断るしかないからだ。
それでは、なぜ困る必要がないのに困ったかと云うと、持ち帰って飼ってみたくてうずうずしている自分がいたからだ。
結局は、おりしもそこに通りかかった東京農大の学生と研究員があずかることとなり、一件落着した。研究保護用として申請してみるようなことを云っていた。
日の出後、朝焼けに浮かび上がる高尾山は、それこそ素晴らしい。
ここには高山植物も群生する。斜面に咲き誇るカタクリが早春を告げる。
夏の日の早朝には、キビタキやオオルリなどの高らかなさえずりが、空いっぱいにひろがる白い雲のように心を満たしていく。仏法僧(ブッポウソウ)もわたって来る。枯れ木の梢にとまるその姿の金属的な光沢には、なるほど名僧の面影が宿る。
紅葉にいろづく秋の木々のかなたに、もう雪を頂いた富士がそびえている。
冬は冬で、淡く明けていく朝に、鷽(うそ)のピンクの羽毛がうっすら映える。哀調ある啼き声は、ひとりごとの口笛のようにささやかだが、凍てついた景色によく響き渡る。
森のオゾンを胸に深く吸い込んで、ときおり寄り道しながらも、駆け抜けるようにくだるのであった。
【余話】
この数年後、わたしは所帯を持ち、川崎市の高津区に住んだ。多摩川の橋を超えた玉川高島屋には、ペットショップがあり、あるとき「アメリカモモンガ」がケージにいるのを見つけた。三日三晩、考えたあげく、妻に「飼いたい」と申し出た。モモンガは、ムササビよりもふた回りも小柄で、鳴声をあげることもほとんどない。飼いやすい。
妻は「買うのならば、離婚届に判を押してから・・・」ときっぱり。
こうしてわたしの「忍者を友にする第二幕」もあえなくついえたのであった。
【追記】<2009.4.18>
2007.11、高尾山がミシュランの観光ガイドで三ツ星を得たことがニュースになった。寿司屋を含めた8店のレストランが三ツ星の栄誉を得たことも話題になったが、高尾山については、日本人の反応のおおかたは「なんで、あそこが・・・」というものだと思う。そもそもミシュランの所業であるのだから、海外からの観光客に日本を紹介するよりどころを考えている筈。レストランの三ツ星の件は、だから、日本人があれこれと騒ぐ代物でそもそもなく、世界から見た日本の食はこうなのか、と構えていればよいのだと思う。
しかし、この高尾山の評価に関しては、わたしはミシュランの肩をもちたい。都市近郊に、これだけの自然林環境が残っていて、地勢上、ひじょうに豊かな動植物層があるのは、世界的にも稀有と云っていい。しかも、ハイキングや宗教という文化の場にもなっている。
そういう視点に基づいた三ツ星ならば、むしろ日本人が気づいていない価値を認めてくれたこともあって、感謝すらしたい。
ミシュランの調査には、密偵が放されるそうだが、この高尾山の密偵といちど会って話してみたい気分である。彼(女)の評価項目や基準、あるいは高尾山でなにを観て、なにを感じたかなどを聞き出してみたい。さすがに新宿副都心を背景としたムササビのシルエットは知らないだろうし、それを聞くと星をもうひとつくれるほど驚くのではないか。
逢う場所については、わたしが厳選した近所の居酒屋でいかがだろう。