<2004.3.3>
昭和48年4月に創刊された平凡社「アニマ」は、自然史を扱う月刊誌として、燦然たる光をはなちながら登場した。すくなくとも当時のわたしにはそのように見えた。
今西錦司氏や中西悟堂氏という先駆者が監修し、動物の生態や行動学、あるいは自然保護の記事を中心に構成した。なによりもカラー写真がふんだんに散りばめられており、ページをめくるごとにときめきを覚えたものだった。
創刊号では、北海道・斜里で獣医を開業し、動物写真家としても活躍している竹田津実さんのキタキツネが表紙を飾った。カメラに正対しながら、そのすこし上を、小首をかしげて見上げるキタキツネの表情と、道端のエゾユリの配置がなんとも言えず、にくらしくなるほどに見事な一枚であった。
最初の三年ほどは会員制の雑誌で、その後、一般の書店にも並ぶようになった。
昭和48年の4月と言えば、わたしが社会人として一歩を踏み出した時期である。そういうタイミングにも縁(えにし)を感じたものだった。
千円足らずの雑誌であったが、それでも安給料の乏しい小遣いで月々に購入し続けるのは、たやすいことでなかった。ファンの支持もあったのだろう、季刊誌や増刊号も繰り出されるようになり、ついついある月の号を買いそびれてしまった。気にはなっていたが、やがて書店から消え、バックナンバーで取寄せるつもりが、日常に紛れて、失念したままになってしまった。
わたしの書庫には、いまでもその一刊が歯抜けで欠損したままとなっている。その他の月刊・季刊・増刊はすべからく網羅しているが、その一刊はない。口惜しい感じもするが、そもそも完璧とはほど遠いところに在るわたしらしい所業であるなあ、という気もしていた。
ところが、先日、わたしはひょんなきっかけで神田の古本街を訪ねて、腰を抜かすほど驚いた。なんと、そこにはまったくおめにかかったこともない月刊「アニマ」の号が山積みされているのである。1992年の各月号であった。どういうことのだろうと記憶を辿るが、さっぱり思いあたらない。たしかにひと月分は買い逃したが、それ以外はすべて休刊になるまできちんと購入した、はずである。なぜここにわたしが知らないアニマが異空間からワープしたかのようにあるのだろうか。
あたまをひねりながら帰宅し、書庫をひっくり返すと、事情がなんとなく分かってきた。わたしのシリーズは1990年3月号で終わっている。わたしは、この号を最後として廃刊になったと思い込んでいたのだが、しかし、それは勘違いで、調べてみると実際のところは1993年まで刊行され続けていた。最後の4年間が、わたしの記憶ともどもすっかり抜け落ちているのである。
なぜなのだろうと回想するに、これも思いあたる節がある。わたしが、ちょうどラグビー部の監督を預かった時期に重なるのである。つまり、月刊誌の動物写真にみとれているどころではなかったのだ。興味や思考が偏向してしまったわけであるが、それはそれでひとつのことにすべてのエネルギーを集中させていた証とも言える。あるいは、やはり監督業に強い重圧を感じていたということなのだろう。その心理が、いつの間にか刊行し続けた雑誌の記憶までも消し去ったのではなかろうか。
アニマからは、星野道夫さんや宮崎学さんなど、日本を代表するようになった動物写真家や荒俣宏さんのような博物史学の怪人が輩出される。かれらを育て、世に送り出したことでも、この雑誌の意義には大きいものがあると思う。若手の動物写真家たちが限られた機材と取材費のなかで、撮った写真群は、その後の成長した彼らの写真集には比べるべくもない。ただ、体をはって撮ったのだろう、ひとつひとつのショットには、青年でなければ発することのできない直球な生命力が溢れている。カメラを通じて撮影した動物たちに、かれら自身が投影されている。わたしの手元にない最後の4年の各刊にも、それらが満ちてている。
さて、神田をぶらついてしまったせいで判明した4年と1月分の欠損を、古本で埋め合わせるかどうか、すこし心が動いた。再度、古書店を廻ってみると、かなり保存状態の良いものもみつかった。裕福には無縁だが、いまだ千円の小遣いに窮々としているわけでもなく、その程度の穴埋めはできる。
何回か店の前を往復し、しかし、結局は思いとどまった。
人生に後戻りはない。いくら古書を揃えて、全号を埋め尽くしたとして、それがいったい何になるだろう。むしろ、わたしという人間の青春への冒涜にもなりかねない。
4年と1月が欠損したアニマをずらりと書棚に並べれば、それはわたしの当時のままの姿を投影したものになる。欠損があったとしても、ありのままがいちばんよいだろう。堂々と歯抜けのままにしておこう。
わたしの青年期にちょうど重なるようにして出版された雑誌がある。平凡社「アニマ」がそうである。