<2008.12.8>
※本文は、NPO一里塚殿の起業にあたって寄稿した提言書となります。
■ はじめに
■ 自らを知る
■ 自分を知ることがなぜ大事か
■ まずやってみることも大事
■ 三種マップをつくってみる
■ 起業の灯台、もと暗し
■ 「ある」ものに気づく面白さと難しさ
■ 三種の「農」に眠る価値をどうやって探すか
■ グリーンツーリズムはどうあるべきか
■ NPOにとって、お金儲けは「手段」です
■ 少子・高齢化が地域にもたらしていくもの
■ 「安心な生活」のある地域に起こる出来事
■ 限界集落をなくすために
■ 地域活性化の仕掛け
■ 広く世間に知らしめる
■ アグリ・パークはどういう存在であるべきか
■ ひとり1テーマで・・・
■ 最後に(都会の若者に田舎から光を)
このたび、起業ののろしを揚げるというお話しをうかがい、NPO一里塚が、いよいよ新たなステージに踏み出すタイミングを迎えたことを心強く思っております。また、そのチャレンジ精神にあらためて敬服いたします。
起業を含め、あらゆる人間の行動を成功に導く秘訣として、細心にして大胆に・・・とパラドックス的な表現が使われますが、やはり入念な準備と果敢な判断というものが不可欠のようです。
この起業に、わたしがなにがしかの力になれるとは思ってもいませんが、9月の訪問の際に、もう他人行儀はやめてください、と申し上げたこともありますので、わたしなりの里山起業論をしたためてみることにします。
里山にはどういうビジネスが成立しそうか、また、どのような里山文化を創ろうとしている地域が魅力的でわたしたち移住志望者を惹きつけるのか。都市生活者という外部からの目線で、不躾ながら飾らない意見を述べさせていただきます。
三種町において、起業を軌道に乗せていくための要件は、「里山の農文化に根ざした複次産業の再構築」という一言に集約されるのではないか、と思っています。
旧中山スキー場跡地利用のありかたを皆様で議論されたとき、三種の特徴を活かすのならば、やはり「農」なのだろうという意見が大勢で、その結果、アグリ・パークという構想が為ったとうかがいました。まさしく正道でありまして、こういうコアがしっかりしていませんと、先々発散したり、計画がブレていってしまいます。
三種町はやはり「農」を基軸として再生・発展するのが自然ですし、その基軸に肉づけしていくように加工や小売・サービス業が相乗効果を発揮していく形態がもっとも望ましいのではないか、と思います。「農生産」という一次産業を「基礎」としますと、「加工・サービス」といった二・三次産業は「応用」に属するイメージでしょうか。
ところが問題は、それじゃあ「農」ってなんなの、ということです。「農」とひとことで申しましても、その世界は広範です。三種の「農」の姿をキチンと見て、データ獲りをし、分析をして、フォーカスすることが重要と考えます。
自分の会社がどういう会社なのか、会社という社会に閉じこもりますと案外にそれを知る機会がありません。知らなくとも日々の業務に追われますし、自分自身の専門性を発揮する機会はあります。たいがいは「知っている気」になって、過ごしています。しかし、だからこそ「本当を知る」ということが重要です。
会社はビジネスを展開するステージで、当然、激しい競争下にあります。自分の会社の強みや弱さ、マーケットの潮流、ライバルの動向などを知らずして、その競争に打ち勝てるほど甘くありません。いくら優れた専門技術を持っていたとしても、です。
海外に出ますと、自分がいかに日本や日本人のことを知らないか、愕然とすることがあります。それに似ています。
(敵を知り、)己を知る、ということです。
それでは、三種のみなさんは三種のことをどれだけ知っているのでしょうか。
三種町はやはり「農」だね、と言いつつ、三種の「農」をどれだけ俯瞰できているのでしょうか。世の中に通用するレベル(品質・品種やコスト)とはどんな程度であって、どれが平均値以上で、どれが下回るのか、はじめに起業として持ち上げるものはなにが適切か、という定量的・客観的な判断データがどれだけ揃っているのでしょうか。
なぜそのような手順(プロセス)にこだわるか、と申しますと、一里塚の起業は、三種の町民のふところをあてにするものではなく、三種の外側に向かっていくものであり、三種にお金を流入させることにねらいがある筈だからです。つまり、「三種の価値を外部に発信」して「認めて」もらい「購買行動」まで誘発する必要があります。「三種の価値とは何か」ということを良く知っていないと、本来、成立しないビジネスです。
マーケットというのは、生き物のうごめきに似て、気まぐれに変わっていきますので、都度、軌道修正をかけていく必要があります。先を読んで、かつ足元をみつめる、という両方の視点を持っていないと対応できません。観察し続ける眼が大事になります。
また、一里塚のそもそもの目的は、地域の活性化にあるわけですから、ビジネスの成立が地域の元気や自信につながっていくことも、より重要です。なによりも、一里塚として、初めてチャレンジすることです。地域の元気以前の問題として、NPOの将来やメンバーの自信・達成感のためにも是が非でも成功裏に持っていきたいものです。
既に、起業のネタは決まっているようですので、現在の起業の歩みにケチをつける気は毛頭ありません。リーダ等の才覚で、機や気運を逃さずに進めていくことは大事です。いろいろ計算してみても予測のつかないことはたくさんあります。やってみてはじめて見えてくることがあります。だから、やってみなはれ、は正解だと思っています。
ただ、これらの動きに並行し、あるいは後追いであっても、以下のようなプロセスを踏んでみることは、のちのちの振り返りや第2・第3弾の起業化の実現に向けて、意味があることだと思います。
わたしの拙い知識や経験等による意見ですので、こういうことがNPOの中で活発にディスカッションされれば、それだけでひとつの成長と言えるのではないでしょうか。
手始めに、三種マップをつくってみませんか。こうような鳥瞰図をわたしがぜひ見てみたい、というのもあります。定住を考える(Uターンを除く)すべての人に、非常に貴重な情報となります。
模造紙に三種の地図を模写し、そこにすべての集落の存在を印していきます。
次にその集落の特徴、いい米ができる、とか、湧き水がある、とか、果樹園がある、とか、比内地鶏を平飼いしている、メロン畑が続いているとか、そういう特徴を漫画で表現してみます。適地適作の模様がポンチ絵で確認できるはずです。
地野菜や在来種等を栽培したり、昔ながらの炭焼きを続けたり、いわゆる現代化の潮流に乗らないで、寡黙にわが道を行く方がいらっしゃるはずです。変わり者、頑固者かも知れませんが、要チェックです。
失われつつある里山の生活様式・文化に合わせて、失われてしまったものは何か、をピックアップしてみることも有意義です。沢目の古民家で昔ながら正月、という発想は、その好例です。
※アニメ映画の大家・宮崎駿さんは「みんなが歩く方向の逆を歩いただけ・・・」というようなことを言っています。そこで普遍的な価値をプロレベルに発揮できれば、たしかに逆らった分だけ希少性が出ます。
集落の名人、いわゆる里山マイスターもピックアップします。メロン名人、きのこ名人、山菜名人、鮎釣り名人、・・・。
ついで風光明媚なところも記入します。
これで三種の隠れた財産地図が出来上がります。
合せて、集落ごとの人口・年齢分布・性別などのデータベースを整理します。
空き家の所在・程度の台帳も備えます。
田畑の休耕マップもつくります。
また、隠れ情報として、地域活動へのシンパの方の所在も重要です。
個人情報ですから、簡単には行きませんが、役場の協力や住民の理解のもとで進めていきます。
できれば、要所々々の四季ごとの写真を撮って、インデックスを張ってアルバムされていれば、めくるのも楽しみでしょう。
これらのことは、手間隙は要しますが、あまりお金をかけずにできることです。そして、後述するいろいろな仕掛けの閻魔帳となります。頭ではなく、お金でもなく、足と目で稼ぐ、というのは、すべてのビジネス行動の基本です。
その地域ではとくに目新しくも、珍しくもないことが、外から見ると非常に新鮮で、貴重であるがゆえに、価値が生み出されるということがままあります。そういうものが三種にあるのではないか、という視点が、大事なのではないかと思います。そんなのあるわけはないよ、ではなく、きっとある筈だ、という心意気が大事です。「三種の農」に眠っている潜在的な価値をみいだすのです。
天然記念物のイリオモテヤマネコ。西表島では、山に野生の猫がいることは、かなりの住民の知るところでした。実際に見た人は少なくとも、口伝えがあります。動物作家の戸川さんが、それを聞きつけ、やがて証を得るに至り、世紀の発見となりました。
白神山地もそうですよね。あの峰々にユネスコが価値をみいだし、世界にも希少な遺産と認定しました。一番びっくりしたのは地元のみなさんではなかったでしょうか。
わたしが在学した小学校は、秋田市の千秋公園にありました。ある日の登校時、公園の坂道で初老の紳士がもくもくと石ころを拾っています。地元では“あぶらいし”と呼んでいました。透明感があって、あぶらに濡れたかのような光沢があります。綺麗なので、ときどきポケットに拾い入れていましたが、大のおとなが目を輝かしながら拾っている様に驚きました。仙台だかからやって来た大学の教授でした。
きわめて身近な例で言いますと、デパ地下はいまや地野菜がブームです。京野菜等、関東ではちょっとみかけない野菜の数々を主婦のみなさんが興味深げに、また楽しげに購入しいてきます。
数年前から、横浜の普通の八百屋でもうわばみ草(そう、みず、のことです)が見受けられるようになりました。最初はおそるおそる手を伸ばしていた主婦も、今では出荷を心待ちにしている向きもあるようです。みずを都市市場に送り出した仕掛け人って、どういう方・団体なんでしょうか。興味があります。
個人が起業する場合、その起業家の特技や感性が濃厚に反映されます。個性が発露され、既設の概念をまったく打ち破るようなビジネスモデルが「創出」されて、花開くときがあります。
一方、NPOのような団体の起業には、「ある」のに気づかなかったものを気づかせるふるまい、ですとか、気づいていたんだけれど、それをより広くアピールするふるまい、ですとか、あるいは、AとBとを組み合わせると面白い効果が出てくる、というようなスタイルが似合う気がします。町の中にある存在同士をくっつけたり、あるいは町の中にあるものを外部へと糊づけしてパイプ役を果たしたり、そこに流通等の付加価値をつけたり、そういう行為です。
派手やかさはないかも知れませんが、これはこれでビジネス発掘の常套策ですし、ありがたいことに
1. もともとそこにあるものだから、資源(素材や職人等)が十分にある。
2. もともとそこにあったということは、三種の気候・風土に合ったものであり、継続性が期待できる。
3. もともとそこにあるのだから、大きな投資を必要としない。つまり、リーズナブルな価格設定でデビューさせられる。
というメリットがあります。
課題ももちろんあります。まず、「そうそう簡単にはみつからない」のです。ない、のではなく、あるのに気づかない、のです。地元の人は、それが日常の出来事(にある一部)ですから、見過ごしてしまいます。他方、その価値に気づく(かも知れない)、外部の人間には接触の機会がほとんどないため、その存在を知り得ないのです。
隠れた三種の財産マップづくりを提唱いたしましたのは、そのためもあります。地域のどこになにがあって、なにが起こっているのか、という事実を事実としてキチンととらまえることが重要です。NPOが介在し、地元と外部のメンバー、一部有識者がこのマップを囲むといろいろな話題が出てきて、イマジネーションが沸きあがってくるのではないでしょうか。外部メンバーが質問し、地元の方がそれに応えるというところから始まり、場合によって「これ、いいじゃない」という気づきが出てくれば、しめたものです。
課題のもうひとつは、「そのままではデビューできない」ということでしょうか。宝石の原石、あるいはスターの卵のようなもので、磨かなければ市場に通用しない可能性が大です。この領域については、商売に精通したその道の方の意見をぜひうかがってみたいところです。販路の確保など、商売上のノウハウを得ていくことも必須となります。
いずれにせよ、世の中のマーケットをつかまえるものは、たぶん理屈をひねりこんで考えた上で出されるものではないような気がします。あっ、これだっ、というシンプルなものがよろしい。わたしは、そう思うのですが、いかがでしょうか。
三種の「農」にこういう価値が眠っています、ということをつまびらかにしていくために、どういうところにそれがありそうか、を類推するアプローチが有効かも知れません。幻の蝶を見つけるため、その生態を調査・研究し、生息しそうな環境を重点的に探してみるようなことです。
1. 特産と言われている作物は、そもそもポテンシャルが高い。その需要を全国区レベルまで伸ばすことはできないものか。まず、ベンチマーキングしてみる。
※琴丘の梅、森岳じゅんさい、八竜メロン、岩川水系のあきたこまち
2. ずれた時期に出荷できるもの、つまり他の地域では、季節外れとなる時期に三種で生産できる作物等の有無
※秋宮のいちごのような存在で需要≫供給時期のマーケット
3. 地野菜、在来種であらたな需要を喚起できそうなものはないのか
※みずや京野菜の事例
4. 三種セレクション等の仕組みによって、品種としては特殊ではないが、味・安全性ともにずば抜けている作物群を商品化できないか
※ 特産品などのセレクションによるブランド化、ラディッシュぼうや等のデリバリー企業と連係等
5. 米や野菜・果樹だけではなく、畜産や民・工芸品、加工品などで、同じような視点から注目できるものはないか
6. かつてあったが今は廃れてしまったものの中で、リバイバルしそうなものはないか
というような視点が、たとえば考えられます。ここは、わたしより一里塚のみなさんの方に遥かに豊富な知恵やご経験、そして勘どころがあると思います。
三種の「農」に新たな息吹を与えること、つまり斬新なアイデアをビジネスに結びつけていこうという動きも否定はしません。早晩、いままでに三種になかった商品の開発や販売にとりかかるフェーズも来るでしょう。その場合は、独自性、すきま性、付加価値性などがキーになると思います。
ただ、斬新的なアイデアと思っているものの多くは、敵を知り、己を知る、というプロセスを踏むに従って、なにかいにしえのものに結びついているのだということが分かってきます。アイデアは、わたしたちの頭から出てくることですから、結局、わたしたちの知識や知恵や経験の枠の中からはみでないのです。ですから、斬新だと思っていたものが、実は三種の「農」の中に既に埋め込まれているものが殆どになります。斬新性が薄れてがっかりするかも知れませんが、それでよろしいのです。むしろ、安心してもらった方が良いと思います。温故知新、ということです。
三種の「農」の産物を外に持ち出して行うビジネスのやり方もあれば、外に居る人を三種の「農」に引き込んで行うビジネスのやりかたもあります。
財布の口がもっとも緩むのは旅行のときだそうです。観光地を巡るだけの従来型のツアーや俗化した土産物が行き詰っているなか、グリーンツーリズム等、体験型のものが好調と言います。観光資源に恵まれているわけではない三種には、歓迎すべき流れなのではないでしょうか。旅行者がやってきて、そこに三種の「農」市場があれば、購買も出るでしょう。
一方、わたしは、現在のグリーンツーリズムの質や内容に大いに疑問を持っています。団塊世代向けのお仕着せツアーが、体験型に変貌しただけのような気がします。ですから、いまどきのグリーンツーリズムの顧客層も同じく団塊の世代が中心の筈です。より若い世代に裾野を広げていくための変革・転換が必要なのではないでしょうか。
たとえば、森岳のじゅんさい。じゅんさい沼は、雑木林同様、里山文化の象徴です。有機栽培のお手本のようなもので、たゆみない手入れが正の循環を与えています。清水の維持管理という点からも、里山の知恵が結集しています。じゅんさい摘み等を通じて、先人の知恵や里山の文化を目の当たりに感じられるようなプログラムを組めれば、どれだけ感動するでしょう。若い人たちは、ヴァーチャルの世界に馴染んで育ってきた反動として、本物に触れたがっています。感動したがっています。多少、不便をさせ、つらい思いをさせても、そういう手触り感のあるツアーができれば、隠れた人気が出るのではないかと思います。バスで連れて行ってくれて、摘んだ、食べた、おいしかった、ハイ、次に行きましょう、はわたしの世代以下の好奇心をそそりません。
前述した三種マップを眺め、閻魔帳を開いてみましょう。それぞれのポイントを季節ごとに組み合わせますと、グリーンツーリズムの第2弾のヒントが生まれます。いまよりちょっとマニアックで、ツーリズムと呼ぶよりは「里山塾」といった語感が似合いますが、里山の生活に直に浸るような体験ツアーができあがります。
グリーンツーリズムより一歩踏み込んだかたちを提唱し、若年層の発掘を進めるべきだと考える理由は、至極単純です。
三種ファンをつくるため、です。
三種出身者以外の輪を広げていくようなところまでやってみたいものです。
感動させることが大事です。さきほど、じゅんさいのお話しをしましたが、じゅんさいを摘んで食べた、では心を動かすに至りません。じゅんさいを育む自然、山や森、川、沼、そういうものの妙なる仕組みを知ったとき、その偉大さに少なくとも感心します。
白神のブナ林に、予備知識がなくて、ただ林に入ると見えないものが、ガイドの案内によって、不思議なほど鮮明に見えてきます。ですから、地元を知り、かつ豊富な知識ももったガイドの育成は重要と思います。
自然やその生態への感心の次にあるのが、人への感動、あるいは感激です。じゅんさいを守り育てる里山生活への興味であり、自然からお裾分けをいただきながら、自然にお返しもする、という先人の知恵への驚きです。住民とツーリストの人と人との触れ合いがあり、そこまで来て、はじめてその方は三種のファンになり得ます。
三種ファンがひとりでも多くなり、口コミで宣伝してくれれば、物産の伸びにつながるかも知れませんし、リピータになってくれるかも知れません。もし何百人にひとりかでも、移住・定住まで発展してくれれば、これほど嬉しいことはありません。
外に居る人を三種の「農」に引き込んで行うビジネスの真のねらいは、物産の購買という目先の次元ではなく、もっと未来を見据えたところにあるのではないでしょうか。
そうなりますと、グリーンツーリズム等、ツアー形態からさらに発展した施策もそろえてみよう、ということになります。
例えば棚田の保全をねらいとしたオーナー制のビジネス。大手企業のCSR活動によってボランティアと連携するケースもあるでしょう。週末や季節限定滞在のクラインガルデンという進化系もあります。里山学校・帰農塾といった短期のツアー・研修もあれな、本格的な定住前提の帰農者研修制度もあります。
現在のグリーンツーリズムと帰農者研修の間には、大きなギャップがあります。そのギャップを連続的に埋めていくような仕掛けがいくつかあれば、潜在的な移住・定住志望者を自然に、着実に歩み寄せるようなことにつながるのではないでしょうか。
NPO一里塚の起業は目的ではなく、手段です。一里塚の活動や存在を軌道に乗せ、地域におけるポジショニングを確立する、そのための手段です。
自治体とNPOと住民が三位一体で、田舎の良さを活かしたまちづくり活動を展開し、定着させていくことが大事です。三種に新たな雇用が生まれ、若年層を含めたAターン者が年々増え、人口減少・高齢化の拍車に歯止めがかかり、誰もが安心して暮らせる持続可能な地域社会となることが目的です。
つまり、今回の起業に並行し、移住・定住促進の何らかの仕組みをつくりこんでいく活動も肝要です。ビジネス(お金)を動かすことよりも、実はこちらの人を動かすことの方が、何倍も何十倍も大変かも知れませんが・・・・。
2003年度にNPOふるさと回帰支援センターで実施した都市生活者5万人へのアンケートによりますと、なんと40.3%の潜・顕在的なふるさと志向が確認されたそうです。一方、回帰の実数となりますと、どうなんでしょうか、かなり低率になっているのではないでしょうか。
志向はあるのに、行動できない(しない)、踏み込めない、現実にはそういうことなのだと思います。しかし、田舎から呼びかける声が聞こえ、背中をそっと押してあげるような力が働いたとしたら、どうでしょう。
秋田定住を志向している者のひとりとして、どのような条件を備えた地域に魅力を感じるのか、あるいは、どのような情報やサポートがあったり、支援策があったりすれば、頼もしく感じられるか、を思いつきままに綴ってみます。
魅力的な田舎とはなにか、を語るために、ちょっと遠回りとなりますが、少子・高齢化の問題に触れてみます。これからの田舎を語るにあたって、この少子・高齢化は避けて通れない問題だからです。
少子・高齢化と人口の減少は、三種町だけではなく、秋田県でもなく、日本全体を取り巻く問題です。社会的な背景として、生活や価値の多様化もありますので、日本が成熟国家に向けて歩み始めている証とも言えます。
ですから、なにもこれは悪いだけの話しではないと思っていますが、老人ばかりで若者がいない構造はやはり未曾有のことで、これでは活性化した社会は望めません。危惧すべきは、若者が都市部にだけ集中し、田舎から消えてしまったということです。しかも、その都市部の若年層の多くは、閉塞感を感じており、覇気を失っています。少子・高齢化そのものが悪なのではなく、地域と都市部のいびつなかたちが根本の要因で、その上に少子・高齢化の波が乗っかってきて、問題を大きくさせています。つまり、少子・高齢化の問題を解決しようとするには、やはりこの社会構造に手をつけざるを得ません。ひじょうに根深いことになるわけです。
しかし、発想をポジティブにして、もしも若者の流出を抑え、むしろ都市部の若者や、あるいは団塊世代までの中高年を含めて流入できるような力を持てば、その地域は元気がでること、間違いありません。
人口が減っていくわけですから、これからは消えていく集落が出てきます。一方、活性化していく地域も出てくるのではないかという気がします。日本の田舎が一律に衰退していくのではなく、大きな格差が生じていく時代を迎えるのではないか、と想えるのです。企業の誘致に奔走したり、観光資源に寄りかかるのではなく、住民がみずから汗をかき、知恵を絞ること、それができるかできないかが岐路になるのではないでしょうか。
わたしが棲みたいのは、そういう地域です。二流の地方都市ではなく、一流の田舎に棲みたいと願っています。正確に言いますと、一流の田舎になる資格のありそうなエリアに棲みついてみたいものです。ちょっとな生意気な言い方ですが・・・。
若者を田舎に呼び寄せることができるのならば、地域にも本人たちにもプラスをもたらすのではないか、と思えますが、田舎には働き場がなく、生活基盤を築けません。現実には、田舎で育った若者が就学、あるいは就職を機に都会に出て、二度と戻ってこない、という戦後の流出・流入の構造がいまだ脈々と続いています。
農業から人が離れてしまったのは、ホワイトカラーへの憧れや家督臭が個人主義の時代に嫌われたことも多分にありますが、根源としては「喰えない」から、です。
農政の無策が続いた結果ですが、そういう他責にボヤいても前進はありません。「農」を中核とした三種の産業を、若者がやってきても「喰える」ようにすることにチャレンジしたいものです。自給率や偽装など、「食」が社会問題になっている今、機は到来しているのかも知れません。
さきほどから、若者、若者と連呼しておりますが、若年層だけをターゲットにする必要はありません。中高年も歓迎ですし、UターンやI/Jターンのどういう形態でも構いません。
ただ、Uターンよりは、I/Jターンです。その理由は簡単で、Uターンの母体は三種にふるさとを持つ方に限られますが、I/Jターンは日本の人口全体が母数となります。
また、中高年よりは、やはり若者です。その理由も簡単です。若者には可能性がありますが、田舎に来て「何かをやる」資金がありません。そういう受け皿となる制度を地域側で考えなければ、若年層は行動できません。つまり、地域にとってハイリスク・ハイリターンです。しかし、こういうチャンレジができる地域には、団塊の世代も入って来易いでしょう。若者を受け入れられる地域には、おのずと中高年もやっています。だから、若者、団塊世代ジュニアをターゲットとして、より高いレベルの目標を掲げる、という考えです。
このような活動の結果、@里山生活を知り尽くした地元住民とAビジネス社会を生き抜いたAターンの中高年とB田舎生活に飛び込んできた若者の3つの層のコラボレーションが始まれば、想像してもわくわくするような化学反応が起きそうな気がします。
わたしは、その片隅で小さなリストランテを営み、こういうメンバーのたまり場を提供して、生活の糧とさせていただく、という寸法です。
夢を膨らませるのは良しとして、具体的にはなにから手をつけるべきか、大きく、根深く、複雑な問題だけにとりつくしまもないように見えます。
行動を起こして、成果を得るには、エネルギーも要りますし、時間も必要です。しかし、考え方や見方を変えるのは心の持ちようです。なにを言いたいか、と申しますと、最初に「限界集落」という言葉をNPOの中から、あるいは三種の役場から消し去りませんか、という提言です。
「限界集落」という言葉を耳にしたとき、ちょっとした違和感を覚えました。民俗論や報道で使われる分には、その状況を4つの漢字で使える適切な用語と思えます。わたしが感じた違和感は、三種の方が三種の中の集落を「限界」と呼んでいることにあるのだと思います。危機感を持つにはよろしいのでしょうが、そういう状況にありつつ、なお希望を捨てないような、そういう呼称がふさわしいような気がします。もし、わたしがその集落の住民であれば、「限界集落」と認定されたとしますと、絶望を感じる気がします。都市部から移住を考えている方も、よほど酔狂でなければ、検討の対象から外してしまうでしょう。集落の諸滅に拍車をかけてしまうものではないか、と思えます。
これには、現実の問題を直視せず、綺麗な言葉を使って目をそむけてしまうことにつながる、という反論もあるでしょう。NPOの皆様でディスカッションしてみると面白いのではないでしょうか。
帰農する者にとって、超えなければならない壁は多々ありますが、
@ 住む家
A 耕す田畑
B 農耕機材や種苗などの初期投資
C 栽培技術
D 生産物の商流化
が主要な課題ではないでしょうか。
前述の閻魔帳で@、Aのデータは揃っています。Cの人材リストもあります。
移住する帰農者に対し、空き家と田畑を2年程度、無償貸与する。その期間、その所有者には町からいくばくかの賃貸料を補填する、という制度があれば、魅力的ではないでしょうか。中古の農耕機材を貸与したり、あるいは長期の低金利融資も必要になります。
里山塾などと連動した不耕起特区のような発想は、とっぴ過ぎますでしょうか。休耕の偏在するある地区の田畑・果樹園を不耕起・減農薬対象として指定します。ビオトープとも融合し、指標生物となる蛍・水生昆虫等の保護により、あらたな観光資源としての活用も考慮します。地元の有志と帰農者を混在させた法人をつくり、このメンバーは里山塾のガイドも兼ねることとします。直ちに結果がでるビジネスではありませんので、2-3年程度は町の臨時職員扱いにします。こういう優遇制度とマッチングできれば、名乗りを上げるチャレンジャーがいそうな気もします。
都市部から流入する人材は、いままでのような農協傘下の個人経営ではなく、ひとつの集団を形成して、つまり法人化して、リスクを分散することを好むのではないかと思えます。個人の田畑を個人が耕すのではなく、複数の田畑を3-5名程度で法人化された集団が、集団活動で生産し、その利益を分配する形態です。農耕器具なども共用するわけです。
また、複数の農家がまとまって法人化を進め、複次の産業を融合して経営していく形態が出てきたり、あるいは、農生産と加工・販売を受け持つそれぞれの法人が、法人間で連関し、リスクや利益を分配していくような動きも出来てくるのではないでしょうか。一部の上場企業が、そういう動向にビジネスの視点から関与してくる、ということもすでに見受けられるようです。
従来は、個人経営の農家(大半が零細の米作農家)が、農協等の傘下に存在しておりました。一次産業の担い手である農家と、資材購入・農産物販売・信用(金融)事業など、農村の諸事業を総合的に実施する農協との分離・分担は、これからは大きく変革せざるを得ないような気がします。
そのための法令や登記などの制度も整備し、簡略化していくことも重要となりそうです。
一次産業の農産物の販売だけでは、粗利も限られます。二次産業として、何らかの付加価値をつけた加工品を、特徴づけて編み出すことが必須になってきます。これは、バラバラに分散するのではなく、「かあちゃん加工場」等の集約チームをつくって、そこで開発・加工・販売ということが望ましいのではないでしょうか。地域において、女性が働き場所を生み出す仕組みが、非常に重要です。そうしないと男やもめの村落となってしまいます。
地域で生産したものが、現金となってその地域に還元されなければなりません。地域貨幣は、そもそもそういう発想から生まれたものです。適用する是非は別として、どういうものかを勉強してもバチは当たりません。三種の直売所や加工場や、一部の飲食料・生活用品店などで通用し、たとえば現金購入より割安であったり、その他の特典が付加できるのであれば、面白いことになるかも知れません。海外や他県からの食糧品等には、この貨幣は適用できません。三種の住民は、その貨幣があれば、ひととおりの生活を不自由なく過ごすことができるのです。
民芸品の集落がもし出来るようなことがあれば、観光資源として活用できます。陶芸や木彫り、手芸等、いろいろな分野で結構です。この集落単独での観光化は難しくとも、先のグリーンツーリズムと組合せることで十分成立しそうです。わたしは東北の村落には、芸術家が良く似合うと考えています。世界を見わたしても、厳しい冬に閉じ込められる地域には、豊かな芸術が花開きます。音楽家や美術家の移住も勧誘していく手があります。
こういう大きな枠組みができたら、広く世間に知らしめることです。
10万人にひとりが応募するとしますと、日本中に知れわたれば、1,000人以上が集まります。首都圏だけでも300人という数にのぼります。
NPOふるさと回帰支援センタや機関紙、一般紙やインターネット、できれば報道機関など、あらゆるパイプを使って、喧伝したいものです。ミニコミ誌等への話題提供は、手始めになるかも知れません。
農業大学との関係づくりも大事になります。もし、農ビジネスの法人化というものが、軌道に乗ってくれば、学生の新規就職先としての可能性も出ますし、そのような雇用機会を創出していくべきだと思います。
思いつきとしては、都内のバイト誌に広告してみるのも、少なくもと目を引くことになると思います。
移住者も、ひとりよりは数名の仲間がいた方が心強いでしょう。
ただ、誰でも無尽蔵に受け入れのではなく、面接過程など、人物像はチェックしておいた方が良いでしょう。何らかの変化には、良いことと同時に、影も面もかならずあります。それを未然に防止する機構は設けるべきと思います。
集落ごとの相談員制度も必要になります。地元の方にとっては当たり前のことを、よそから来た人間は知らずに困ることもあるでしょうし、あるいはそういうことが相互の誤解や不信につながる恐れもあります。彼らの生活が軌道に乗るまでは一定のケアが大事です。
移住者同士の定期的な意見交換会も開く価値があります。とくに、そういう先人の体験談は跡を追う者にとって貴重な情報源となります。
若年層には、男女の交際や婚姻の機会を設けていくことも重要です。若い女性をターゲットとした体験ツーリズムをこさえて、帰農者との触れ合いの場を持つこともひとつのアイデアです。三種の中でどうにかする、のではなく、周辺や都市部までを巻き込んで、ひろく活動することが大事なのではないかと考えています。
このような活動が体系だって見えてきますと、旧スキー場跡地の利用にもアウトラインが浮かんできます。
アグリ・パーク(わたしは三種の特徴の見える言い方として、サンドクラフトにも通じて、サンドヒル・アグリパーク-砂の丘農園- という固有名称を提言しますが・・・)は、それ自体が帰農者の生産の場ともなりますが、それよりはむしろ上記活動のシンボルとなる場である方が良いと思っています。
つまり、@菜の花畑や四季おりおりの花畑、A移住者支援センタ、Bかあちゃん加工場、C三種のおいしいもの販売センタの4つの機能をもちます。
移住者支援センタとは、三種への移住を検討している方に対して、訪町時に格安の宿泊サービスを提供する場であり、移住に関わるあらゆる情報を提供する場です。前述の三種マップが張ってあり、先人者のプロフィールや連絡先の帳簿、空き家情報、移住支援制度のパンフレットなどが整備されています。四季のアルバムもおいてあります。そこに居ながらにして、この町のプロフィールが一望できるのです。移住者の意見交換会も、このセンタで実施されます。
※いま、わたしは移住準備の真っ只中にありますが、こういうセンタがあると非常に助かります。情報を得るために、現地に通う必要が生じます。ところが、まとまった情報がなく、断片的なものの積み重ねになりますので、いつまでたっても全貌をつかんだ気になれないのです。I/Jターンのメンバーが最初に困惑するところです。それを埋めるためにも、再々顔を出したいところですが、旅費・宿泊費等が予想外にかさみます。移住後の支出を考えると、できるだけ蓄えもしておきたく、悩みどころです。
また、三種のおいしいもの販売センタは、隣接するかあちゃん加工場での加工製品はもちろん、町内の特産品の中でも特に優秀なものをブランド化して、販売するセンタです。直売も設けますが、インターネット等での通販や都市部のレストラン等への卸しを主とし、他の4箇所の直売所とは性格を異にします。
このような活動を実現するには、いろいろな分野の知識や工夫が必要になり、また自治体との連携も必須となります。ある意味で、NPO集団がもっとも活躍できる領域となります。
一里塚のみなさんで、たとえば地域貨幣についてはAさんが、加工品の実態やアイデアづくりはBさんが、農法人化の制度研究はCさんが、・・・とひとり1テーマで進めていけば面白いのではないでしょうか。
テーマを定めて、それぞれの目標を決めて、期日も区切って活動していく。そうしていろいろなものが出揃った頃には、なにか大きな一歩が踏み出される予感がいたします。
この十数年の間、日系企業は大きなうねりの中にあります。
年功序列・生涯雇用の枠組みが消え去って、成果主義・実力至上主義になっています。会社同士、競争し、社員同士、競争しているわけです。大企業の中に身をおいてみると、なにもこれほど急転して、いままでの枠組みを、それこそ廃仏毀釈のように捨て去らんでも、良いものもたくさんあったろうに、と思います。しかし、そういうことを振り返る余裕すらないほどにめまぐるしく変貌していきます。
このような競争社会に、ひとつひとつの個性を持った人間が、すべてフィットできるとはとても思えません。競争よりも、みなで手をとりあって、共生していくのが、気立てとして似合う若者も多く居ます。
都会があれば、その対比に田舎があります。消費があり、生産があります。競争があり、共生があります。それぞれの世界に、老若男女が等分に配し、どちらもバランスよく、そこそこ、ほど良く成り立っていることが心地よい国づくりの条件なのではないかと想います。
わたしは、地域が頑張って雇用を創出し、都市部の若者をひきつけていくのは、人間の多様な生き方を認め合っていくための道でもあると思っています。ですから、一里塚の活動は、地域のためではありますが、畢竟、都市部に住む若者にも夢を与え、ある種の救いにもなります。そういう理念で胸を張って、進めていただきたいものです。ひたいに汗し、実りの秋を迎える、そういうまっとうな仕事を望む若者の一群はかならず居るのです。