<初稿2007.04.15>
32歳までの現役生活、その後のコーチ・監督業や関東協会役員の経験。いまは縁遠くなってしまったが、ラグビー漬けの日々は、わたしに根っ子となるものを学ばてくれた。
ずいぶんと失敗し、恥もかいた。深海の泥底にもぐりこむかのように、杳々(ようよう)と落ち込んだこともある。しかし、フィールドで言い訳は通用しないし、逃げ場もない。だから、懸命に立ち向かうしかなかった。いつしか、どんなときでも最後まで顔をあげてプレイできるようになっていた。始めて10年近くも経ったころだ。すこしはたくましくなれたかな、そんな気がした。
人と人との絆がこれほど濃厚になるスポーツもないように思う。おなじ釜の飯を喰らい、体と心をぶつけ合っていくと、人間の集団とはかくのごとくなるということなのだろうか。お世話になった諸士は数知れない。ひとりひとり思い浮かべて、深謝、そして合掌。
さて、この競技には、強靭な肉体と楕円球を自在にあやつる技量が求められるが、あるレベルにいたると勝敗を決するのは、知力の差によるところが大きい。「統制と創造性」である。
“スポーツインテリジェンス”。時々刻々変化する局面に、瞬時に応じる判断・洞察力を指す。じっくり考えての満点はいらない。ベターな判断を80分にわたって積み重ねてプレイすることである。選手は、ゲームプランを知悉し、それを体現しなければならない(One for All)。また、ひとりの選手の判断は、いかなるものであれど尊重され、他の14人に支持されることが重要となる(All for One)。まるで、楽譜のないオーケストラのようだ。素晴らしいトライには、ひとつひとつの音の確かさを軸として、以心伝心のチームワークによる協和音がある。しかも、それはライヴァルが強烈であるほど研ぎ澄まされ、引き出されるように奏でられる。ノーサイドの精神とは、畢竟(ひっきょう)、対戦相手への敬意にほかならない。
ところで、瀬戸際の公式戦では、逆説的であるが、その知性がふっとばされてしまう展開もままある。ほとんどは目が醒めるようなタックルを起点とする。まさしくグランドに咲く花。それを咲かすものが「勇気」である。ひとつの勇気がチームの士気を鼓舞する。相手の組立てに微妙な狂いを生じせしめるのである。最後の笛まで、勝負をあきらめずにすべての力を出し尽くす揺るがぬ意思。その精神の一瞬の凝縮と昇華が、鮮烈なタックルとなってほとばしる。
試合は生き物であり、理屈どおりにならない。だから面白い。
粒をそろえると巧いチームができる。デコボコの寄り合いを鍛え上げてひとつにすると強いチームになる。そして、巧さは強さに勝てないのである。そういうところが、またなんとも面白い。
かつてのラガーもいまでは面影もなく、たるんだわき腹をつまんでいる。しかし、その情熱は脈々と受け継がれて、後輩たちは、ことしもトップリーグ昇格を目指し、オープン戦から夏季合宿へと突入する。知力と勇気を持って、思う存分に自己表現してほしい。是非、皆さんの応援をお願いします。
<2007.7.1 社内報に掲載>