<2007.5.16>
「ドードーを知っていますか」は美しくも哀しい絵本だ。
原書は“As Dead As A Dodo”、英国の書である。
ドードーは、かつてモーリシャス諸島に生息していた、飛べない大型の鳩の仲間である。上陸した人間どもに棍棒で殴り殺され、犬の餌食になって、やがて絶滅した。
ロンドンへの出張で週末をはさむと、わたしはサウスケジントンの大英自然史博物館を訪れることにしていた。ドードーの復元標本に会いにいくのである。入って右奥にある鳥類の部屋に、それは鎮座している。ペリカンをレスラーにしたような体躯であるから、至極目立つ。愛嬌のあるフォルムのゆえ、絶滅したという悲壮感がやんわりと薄らいでしまうところが救われる。出来はあまりよろしくなかいが、決して憎めない旧友に再会したような心地である。
絵本には、ドードーをはじめ14種類の野生生物の絶滅の足跡が、淡い色調で、葬送曲の調べのように描き出されている。美しすぎたり、少しおおらかすぎた動物たちが、あっけないほどに儚く地球という舞台から消えた。そこには、失われた種への郷愁があり、そこまで追い詰めた人類の性(さが)への哀切がある。
小理屈な正義色のないところがいい。‘地球に棲む一員として、自然や環境を壊し、他の生命を脅かすことがあってはならない、今こそわれわれ人類は、レッドブックリストの動植物の保護に立ちあがらなければならない、人間もしょせんは動物なのだから’。そういう偽善の匂いがない。淡々としていて気負いがない。だから、むしろ考えさせられる。
あるとき、原書を手にしたい、と思った。原書の持つ雰囲気を感じ、この作者の体温に触れてみたいと思い、紀伊國屋でとりよせてもらった。新刊はもう無理です、Usedになりますが、と言われたが、歓迎である。しばらくして、美品がみつかったという連絡があった。相応の値段であったが、喜んで購入した。
数ヶ月後に英国の古本屋からはるばる海を越えて、やって来た原書を手にし、わたしは思わず苦笑いした。まずは表紙が痛んでいる。ボロボロの美品というわけだ。表紙をめくると、紫色のスタンプが大きく押してある。Discard。裏表紙をめくる。貼りつけていいたカードを無造作にやぶった跡がある。おまけにもう一枚のカードが挿入されたままになっている。ふむ、要するに、これはどこかの図書館の払い下げなのだ。図書カードには、SEP.19.’90, Adam(13), Oct.9,’90, Rickey Rotch(17)という2名の借主の記録が残っている。
わたしはいま、Adam君とRickey君がどこかの図書館で借りたのであろう、その払い下げの絵本を手に入れて、一頁一頁をめくっている。英国の青年たちと会話しているような錯覚を楽しみながら観ている。17世紀のインド洋に浮かぶ孤島の森や沼の想像に浸り、この風変わりな鳥の一挙一動を息を潜めて観察する。造形主の悪戯、もしくは気まぐれ。幻想的な光景である。キャロル・ルイスは‘不思議の国のアリス’という空想に世界に、このドードーを復活させた。それがなぜなのか、分かるような気がする。
ドードーはすでに絶滅し、しかも皮肉かな、その絵本も図書館からもDiscardされてしまった。しかし、異国の少年の目を経て、それは縁あって、わたしの手元に巡った。こういう結びつきがあったという一事で、ほんの少しドードーの供養になるような気がする。合掌。
なお、この本、表紙はともあれ、中はよれも汚れも紙魚もなく、すこぶる良好である。丁寧に観られ、大事に保管されていたのだろう。紀伊國屋さんの名誉のためにも、申し伝えておく。ボロボロの美品は、わたしのお気に入りの一冊なのである。
Dodo Extinct bird -ドードーの絶滅-
http://www2u.biglobe.ne.jp/~KA-ZU/index.html