<初稿2007.3.30>
在郷の地に居をかまえるにあたって、やってみたいことがひとつある。それは北向きの壁に広く窓をつけて、その眺めのさきにハクモクレンの大木を植えることである。秋田の田舎家に北向きの窓を、それもよりよって広々とつくるということが常識を外れていることは、素人のわたしにも分かる。
なぜ北向きの窓で、その先にハクモクレンなのか。それは、わたしがはたちかそこらだった頃の記憶にある。
当時、わたしは湘南海岸沿いの鵠沼で、古い二階建ての木造アパートの一室を借りて住んでいた。築4-50年は経とうかという、風が吹くたびに揺れるようなボロ屋であったが、なにより八千円という家賃が、安サラリーに優しかった。部屋はどうしようもなかったが、大家の趣味で、庭が緑で溢れており、窓辺の光景はなかなかぜいたくな風情であった。
昼は会社に行き、夜は受験勉強をした。望んではいりこんだ社会人生活であったが、やがて飽き足らなくなっていた。働くことがいやになったわけでも、人間関係に悩んだわけでもない。ただ、人生のレールが引かれてしまったような閉塞感があったし、自分の可能性にチャレンジすることなく、ずるずると生きていっていいのだろうか、という漫然とした思いがあった。最初にしたことは、寮を出ることだった。寮には、東北や九州から上京した仲間が多く居たが、そういう温かみに浸かってはいけないと感じた。
親もとを飛び出したという自負心はあったので、4-5年働きながらお金を貯め、国立大に入って獣医になろうと想っていた。沸き立ってくるものを抑えられない青春の一風景が、わたしにもあったということだ。
勤めを終えてから、部屋にもどり、江ノ島までランニングをして、風呂に入り、食事をとって、机に向かう毎日であった。いざ始めてみたものの、勉学の進展ははかばかしくなく、いつも重苦しい壁にぶつかっている気分だった。机に向かうことは、自分自身に向き合うことだった。答えの出ない問いかけを、直球でぶつけ続けた。
結局、この試みは失敗に終わり、わたしは長く会社員生活を続けることになる。だが、こうやって若い時分に自分ひとりで決めて、出口の見えない生活と孤独にあがきながらも、なにものかに挑戦したことは、その後のわたしの心の糧となった。予備校の公開模試を渡り歩き、最初の見るも無残な状態から、遅々としながらも、確実にステップアップしていくことは、自信にもつながった。
アパートの玄関先に一本のハクモクレンがあった。受験の季節は、まだうら寒く、空模様もやすまらない。失敗し続ける惨めな気分を、その白い蕾が洗い流してくれる。
モクレンは、硬いままの蕾が宙天にスクッと向かう様が良い。晴天に浮かびあがる姿も悪くはないが、いまにも名残りの小雪が降り出しそうな曇天がことさら似合う。蕾の柔らかな白さが、ぼんやりと輝いているようにみえる。希望が見える。
北向きなのは、光がいつも変わらないからである。朝夕に、あるいは四季おりおりの光陰は、北辺がもっとも優しい。南の陽ざしのように強烈ではなく、恥らうように移ろう。水彩の画布のようである。
北向きのガラス窓のハクモクレンは、わたしがあの頃、自分自身と真っ直ぐに向き合った象徴なのだ。あれからのわたしは、仕事やラグビー、そして家庭とがっぷり組み合ってきた。そして、社会環境に自分自身を適応させて歩んできた。それが、人生のフォースクォーターに立ち、ふたたび自分というものの内面に向き合っていく時期を迎えようとしている。
四季おりおりのモクレンと語り合いながら、そういう時間を過ごしてみたいのである。