<2009.4.18>
もう5年ほど前のことだが、お盆休みを利用し、一家5人で東北の実家に帰省した。当時、大学最終学年だった長女が就職してしまうと、全員揃うことは難しくなる。いいチャンスだと思った。
夜、男衆で晩酌をしていると、かたわらの縁側から長女と義母の会話が聞こえてくる。
ねえ、おばあちゃん、こっちに来るとなんだか吹いてくる風も気持ちいいよね。
んだべぇ、そいだば、風っこが葉っぱのうえをつだわってくるがらだねぇ。
長距離運転の疲れと晩酌のほろ酔いでわたしのあたまはすっかり弛緩していたが、その素敵なやりとりに思わずほくそえむ。詩的でありながら、なにやら無意識の科学的裏づけも感じられるではないか。
そうなのだ、田舎ではひとそよぎの風さえも、都会とは違う。時間がゆったりと、泰然として流れていくのである。
来春の定年以降の移住準備のため、この1年で4度、秋田を訪問した。
羽田から航空機でひと飛びすれば、1時間もかからない。新幹線では東京から4時間。横浜から車を駆っても、早朝出発すれば昼過ぎには現地入りできるのだから、思えば、便利になったものである。
しかしながら、もろもろの準備事を進めていこうとすると、都市と田舎とには、思考やプロセスの違い、情報に対する価値観の違いなどなど、大きなギャップがあることに面食らう。交通や通信がこれほど発展しても、その差が依然としてある。いや、むしろこうして距離感が近づいている分だけ、ギャップ度が激しくなっているのかも知れないとさえ思えるのである。
都市生活者、とくに会社勤めのひとは、通常、組織や人を相手にして仕事を進める。なかには技術やシステムに対峙する仕事もあるが、それとて所詮は人間が造りこんだものである。そして、こういうものを相手にしていると、人間はどんどん性悪説に傾いていく。内在するリスクを洞察して、ヘッジしなければならない。いろいろな角度から課題を浮き彫りにして、ひとつひとつ解決していかなければならない。ディジタル的でロジカルな思考回路になる。人や組織は、どれほど磐石で信頼に値すると見えるものでも、油断する呑気者に思わぬ落とし穴を用意して待ち構える。それでも、人や組織は、人智の及ぶ世界である。きちんと準備さえすれば、それに見合った成果をもたらしてくれる。
一方、田園生活をおくる者、とくに農家のひとは、自然を相手に仕事を進める。これは性善説に立たないとできない。台風がドッとやってきて、田畑を一網打尽に吹き荒らしたり、季節外れの雹(ひょう)などで果樹が軒並みにやられ、毎日の手塩の努力が一瞬にして砕かれるときがある。相手は自然であり、人智を超える。しようがねえ、またやるしかねえ、という諦観は、性善説に立脚しないと出てこないものである。それに、自然は、ときにどんなにひどい仕打ちを人間にしたとしても、たいがいは少なくとも喰っていけるだけのものを恵んでくれる。
そういうわけだから、この両者でなにかひとつのことを成し遂げようとすると、どうもチグハグしてしまう。性悪説と性善説がぶつかり合う、いや、噛み合わずにすれ違いを続ける。
これはもうやむを得ないと思おう。田舎暮らしを進めようとする都市生活者は、粛々と受け止めればいい。こんなもんだ、と楽しむ気持ちが大事と思う。
もし、定住の話しをトントンと進めるために、田舎の人が性悪説になったとしたら、そもそも田舎の魅力もなくなってしまうのだから。
ここで性悪説・性善説のどちらに軍配をあげるつもりもない。要は、バランスと使い分けの問題である。ただ、自然に永く居た老夫や老婆のしわにまみれた顔はじつにいい。失礼かも知れないが、動物の表情にも似て、山や川に溶け込んでいる。ああわたしは逆立ちしても、こうはなれないなあと思う。
遺憾ながら、そういう田舎人が、きわめつけの性悪者になるときがある。性悪説者-Ism-ではない、“性悪(しょうわる)”そのものに善人が変貌する。
それは、閉鎖社会にあって、特定の人物がその負のエネルギーを向けられたときである。いわゆる、村八部の面影が頑迷に残っている。日本の、とくに中山間部の村に見られるこの因習めいた陰湿さを、見聞きすると腰が引ける。どんなに風向明媚な里山だとしても、そこに住んでみようと思う気が失せる。
本間靖春氏は、その著書「誘拐」のなかで、
「手近なだれかを別け隔てして、自分たちの小さな輪を守るという図式によって、閉鎖性、排他性をいっそう助長された地方の人々は、一度おぼえたら麻薬を手放せない中毒患者のように、実は自分自身を貶める陰口の快楽から、いまなお脱け出せないようである。」
と書いた。
人口減を迎えた日本が目指す成熟国家に、都市と田舎の間の文化や価値感の隔絶が、交わりようもなく在ってはならない。同質である必要はむろんまったくないが、違いを認識しながらも、緩やかに接合していくことが重要だと思う。
そのためには、人が行き来することが大事となる。田舎と都市部との生活圏を行き交わらせること、それも生まれ故郷にとらわれず、自分たちの棲みたい地域を、高い自由度で選択できること、それが老若男女の広い層にわたって行われること。
戦後、若者の都市部への大量流出が続いた、その反動として、いまわたしたち夫婦のような活動が出てきている。きっと接合役として、都市と田舎とのインタフェースを担っていくことにもなるのだろう。ギャップを埋める橋渡し役は,労も多かろうが、いろいろな発見や喜びに満ちていそうな予感がある。
地域の貢献につながるのであれば、ときに性悪説的にアクセク走り廻ってみるのもまんざら悪くもない。それでも、田舎ではひとそよぎの風さえも、ゆったりと、泰然として流れるのではないだろうか。